第37話 波紋
中宮彰子の出産も無事に終え内裏に戻る時に彰子は、
帝に献上するために源氏物語を冊子にしたいと言い出した
そこに出てきたのが、きれいな和紙がたくさん
現代でも雅できれいに感じる和紙でした
ただ、個人的な感想ですが、読みずらそう・・・と思いました
さて、宿下がりをしたまひろですが、
久しぶりすぎる賢子との再会でしたが、お互いぎこちなくて
接し方がわからない感じが見ていてもどかしい・・・
賢子とまひろは何をどうしたかったのかしら?
まひろは、年老いた父親と10歳になる娘に会いに行きたいことを
彰子に申し出て宿下がりをしました
もちろん、本心だったと思います
もしかしたら、少し宮中の生活に疲れていたのかもしれません
長いストレスをため込むと、自分の価値観や冷静にものをみる
判断能力を低下させて、自分の思った通りに分別なく行動を
起こしてしまうことがあります
その結果、賢子との接し方もわからず、普段のストレスも
絡まり、お酒を飲みすぎたり、おしゃべりが止まらなく
なったのではないかと思います
賢子は、どうでしょうか?
突然帰ってきた母親をみた瞬間、接し方がわからなかったのでしょう
母親も接し方がわからないのだから、人生経験の乏しい娘に
適した対応を求めるのは酷かとと思いますが・・・
そのために、人と接する時に決まりきった言葉を話す
時間があります
「おはようございます」には「おはようございます」
「ただいま」には「おかえりなさい」
「お久しぶりです」には「お元気そうで何よりです」
卒なく会話をこなす時間があります
そこから、お互い敵意がありませんであったり、友好的な気持ちがあるや
あなたがそこにいることを知っていますと言った心の栄養を
交換します
その後、為時が賢子の成長を伝え雑談を始めましたが、
賢子は、雑談にのらずいとの元へ水仙を持って行ってしまいました
こうなると、心の栄養の交換はここで止まってしまいます
ここからは、私の推測ですが、
まひろは、賢子が自分に甘えてくるかと思ったのかもしれません
賢子は、もっと自分を心配して自分の話を聞き甘えさせてくれると
思っていたのではないでしょうか?
例え、親子であっても、別々の人生を歩き別々の経験をしています
特に親は、そのことを自覚した方が良いと思うのです
少しずつ自律心が芽生えてくれば、親の予想に反した行動が出てきます
「あれ?」「なんで?」と親が思った時はゆっくり話を聞くチャンスです
しかし、話をしてくれないかもしれません
そのような時があっても良いではないですか?
その子はその子なりに考えてる最中なのですよ
いつもと変わらない接し方をしてみてはどうですか?
普段から子どもの話を聞く習慣があるといいのですが、
どうしても、親は上から目線になりやすいものです
子どももどうしても、親の言うことをへりくだって
聞いてしまうこともあります
なるべく、対等な話の仕方や聞き方を心掛けると良いかと
思いますが、私も出来なかったりします
親が子を育て、子が親を育ててくれるものだと思い、
日々精進ですね