大船 常楽寺
JR大船駅東口から徒歩15分
まもなく左手に参道があり、その奥に山門が見えます
常楽寺は、1237年(嘉禎3年)に三代執権北条泰時が義母の供養のために
建立した粟船御堂を起源とします
泰時が60歳で亡くなると、同寺に葬られ、法名の“常楽寺”殿から
寺名が付けられました。境内には泰時の墓が祀られています
仏殿の本尊である阿弥陀三尊像は鎌倉時代の作品で、
泰時が没する3日前の銘が刻まれています
猿頂角柱型供養塔
正面には「粟船もんじゅぼさつ道」、右脇下には「粟船山」
左脇下には「常楽寺」、裏には「庚申供養塔」と刻まれています
頭部が欠けた猿の像があり、一見すると他の生き物にも見える
ユニークな彫刻です
木曽義高と大姫の伝説
木曽義仲の嫡男・義高は、源頼朝と北条政子の長女・大姫の許婚として
鎌倉に送られました
同寺の裏山には、義高の墓と伝わる塚があります
『新編鎌倉志』に記された記録
水戸藩主・徳川光圀が編さんした『新編鎌倉志』には常楽寺の図が
記され、“木曽塚”が描かれています
元は常楽寺の数百メートル西南の田んぼの中にあった塚を、
村人が江戸時代に現在地に移したと伝えられます
塚からは青磁の瓶と泥に交じった枯れた骨が見つかり、
それを洗い清めて塚を立てたとされています
裏山にはもう一つの塚があり、“姫宮塚”と呼ばれています
この塚は泰時の娘のものと伝わっていますが、大姫の塚とも言われています
2024年もお読みいただきありがとうございました
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