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第46回 将軍になった女
「鎌倉は誰にも渡さぬ」「私の考えが鎌倉の考えです」
義時の放った言葉は、鎌倉への固執なのか身内へのネガティブな
思いやりから出た言葉なのか読みずらい言葉です
今まで、義時は後に跡を継ぐであろう泰時、もしくは北条家のために、
憎まれ役を担っていたように感じていたのだけど・・・
今回の言葉は少し違うところから出てきてるように感じました
さて、今回取り上げたいのは政子です
政子は、今まで義時のやり方に不満を持つことがあっても
義時の考えた通りに動いていく鎌倉をみていました
頼朝より政に参加しないように言われていたこともあったのでしょう
その政子が妹の実衣を守るために自分の意思で決断したのが、
「尼将軍」でした
恐らくですが、相当勇気のいる今までと違う決断に戸惑い、
迷ったように感じたのですが、その迷いを払拭するために行ったのが、
「わたくしはわたくしの政をしてみたいのです。ダメかしら?」
と大江広元に相談をしています
この段階でも、政子は迷っていたのだと思います
大江広元は「民と触れ合うには良い機会」と施餓鬼を進めました
施餓鬼に参加した政子は
「皆さん、ようこそ・・・」と役割的には上から目線でありながらも、
「来てくれてありがとう」のような下から上への良い意味でのへりくだった
裏面をにじませて声をかけました
民は「尼御台!」と驚きながらも嬉しそうに親近感を覚えながら
民も話しかけ始めました
政子「あなたは、どこからきたの?」
民1「甘縄の方から・・・」
政子「そう」
政子「まぁ~素敵な小袖。どこに行けば手に入るの?」
民2「この間の三斎市で・・・」
民3「尼御台、私も子どもを3人亡くしました。
それでも頑張って生きてます。元気だしてくださいね」
政子「ありがとう」
民4「生きてりゃぁ~いろいろあります」
政子「そうですね」
民5「私なんか、かかぁに5回逃げられ、家は7回焼け落ちて、
馬に8回蹴られました。何とか生きてます」
政子「上には上があるものですね。わたくしも頑張らないと・・・
みなさん、今日は本当にどうもありがとう」
政子の聴く力が発揮されて、民も生きているということは、
役割や役職等に関係なく同じだよねと共感を得ていました
個人的な意見ですが、こうゆう場面で必ずマウントを取ってくる方って
いらっしゃいますよね
そこも、上手く笑いで伝える脚本と演者の素晴らしいところだと思いましたが、政子の切り返しも現代でも使える切り返しだなぁ~と思いました
余談ですが、甘縄と地名が出てきましたが今でも地名は残っています。
この民とのやりとりで、政子は自信をつけ始めたと思うのです
自分が民のために何かをすることが出来ると感じたはずです
そして、ダメ押しをしたのが、はじにいた少女の言葉だったと思います
少女「尼御台、よろしいですか?」
政子「なに?」
少女「どうしても言いたいことがあって・・・」
政子「なんでもおっしゃい」
少女「伊豆の小さな豪族の行き遅れが、こんなに立派になられて、
行き遅れが・・・」
政子「あまり言わないで・・・」
少女「いろいろ大変だったですね。苦労されたんですよね。」
政子「わたくしだけじゃない。皆さんだってそうでしょう?
生きるのは大変なのよ」
少女「憧れなんです。私の友達もみんな言ってます。」
政子「ありがとう」
行き遅れが・・・を2回繰り返す辺りは、脚本家の意地の悪さを感じましたが、笑いのネタでしたね
それよりも「憧れなんです」この一言は、昔、江口のりこさんが演じた、
頼朝のめかけだった亀が政子に言った言葉でもあります
その時、政子は何かに気がつき御台所としての自覚を持ち始めた時期だった
のではないかと記憶しています
今回も尼将軍になるにあたり、その時の気持ちが沸き上がったのでは
ないでしょうか?
いろいろあるとは思いますが、立場や役割、役職に関係なく、
人の言葉で気づきを得ることが出来る
これが、人が人とコミュニケーションをとる理由ではないでしょうか?
気づきから自発的に納得しながら自分を変える決断をおこない、
成長していくことが出来るのが人として生きる醍醐味かもしれません
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