第16話 信玄を怒らせるな
井伊虎松(直政)が格好良く出てきましたね。(前回からですが・・・)
過去の大河ドラマ「おんな城主直虎」では、菅田将暉が演じてました。
真っすぐな性格は、今回も変わらずといったところでしょうか?
松平源三郎が出てきます。(前にも出てましたが・・・)
家康の異母兄弟にあたります。
家康が源三郎を甲斐の武田に人質として出したようになっていますが、
史実通りにするといろいろと手間と人手がかかるのでしょう。
今回は、家康と家臣団の絆が深まっていることがわかる
やりとりに注目したいと思います。
井伊直政に襲われて「武田さまがいる。武田さまは我らのお味方。
我らの暮らしを助けてくださる。武田さまこそ我らの国司にふさわしい」
と言われた家康は、ちょっとショック・・・。
それでも、家臣が反対するなか襲った直政を格好よく放免します。
その後、直政の行動は命令されて行った行動ではなく自発的に行われた
暗殺未遂だったことで遠江の水面下では信玄が手を回していることが
顕著に表れた行動だったため、家臣との話し合いになりました。
石川数正「戦となれば十に九は負けましょう。」
徳川家康「あの小僧も言っておった。
わしより信玄の方が領主にふさわしいと、
儂は信玄に何が及ばぬ。何が足りんぬ。包まず申せ。」
この時代で「包まず申せ」と言われると「恐れながら・・・」など、
「あなたは優れているのですが、あえて言うならば・・・」のような
雰囲気で上申するところではありますが、
酒井忠次「何かと問われれば・・・」
石川数正「全て!」と単刀直入に言えてしまうつながりの確かさを見ることが出来ます。「包まず申せ」と言った家康もあまりにも直球で石川数正が答えるもので「もう少し遠回しに申せ!」なんて答えてしまうところは、
家康もわかっていたことなのでしょう。
弱みの図星をつかれると、人は逆ギレしてしまうことは良くあることです。
さて、源三郎が戻ってきて信玄からの言伝が家康に伝えられます。
武田信玄「弱気主君は害悪なり。滅ぶが民のためなり。生き延びたければ、
我が家臣となり手を差し伸べるは、1度だけぞ。」
家臣は、それを聞いて各々の意見をいいます。
家康は苦虫を嚙み潰したような顔をして
「戦っても十に九は負けるんじゃぞっ」石川数正が言った言葉です。
家康はしっかりと家臣の話を聴いていることを示しています。
これは、現代においても大事なことだと思うのですよ。
「もう少し遠回しに申せ!」と怒っておきながらも、
きちんとあなたの話は聴いています。参考にしています。
この表明は、相手の存在を無下にしていません。
あなたの存在があることを良く知っています。
ということを伝える行動につながると考えられます。
交流分析では、「相手の存在を無下にしていません。」は
「ディスカウントしていません。」とも考えられるし、
「あなたの存在があることを良く知っています。」
「ストローク理論」でとらえることができます。
そして、この話し合いの最後に名前をよく間違えられていた
夏目広次「恐れながら殿。その代わりに殿にはこの家臣一同がおります。
この一同で力を合わせ知恵を出し合えば、きっと信玄に及ぶもの
と存じます。」と、言い放ったのです。
「どうする家康」と弱気なお題の大河ドラマですが、頼りない家康だったかもしれないが、家臣と共に大きくなった家康だったことが伺えます。
さて、季節も良くてお天気も良いGW前に行っておきたい場所に行ってきたので、また、紀行ありで・・・すみません。
名越の切通しの中にある「まんだら堂やぐら群」は、5月29日までの間、
土曜・日曜・月曜だけ一般公開されています。
次は秋に一般公開される予定ですが、先延ばしにして台風で通行止めになってしまっても後悔しそうなので、行ってきました。
私は、報国寺の横の住宅街から緑地公園を抜け名越の切通しに入りました。
名越の切通しには、安国論寺の前を通り大町口入り口
バス停:緑が丘入り口
バス停:亀ヶ岡団地口が有名なのですが、
緑地公園からの方が楽に登れそうだったので選んだのですが、少し不安に襲われる緑地公園までの距離だったので、怖かったですw
でも、住宅街なのでお散歩されている方もいらっしゃるので聞けばいいだけなので大丈夫です!
ちなみに、途中で電波が届かなくなる場所もあるので、グーグルマップだよりは危険かも・・・です。
緑地公園から登ると最初に「お猿畠の大切岸(おさるばたけのおおきりぎし)」があります。
切岸とは、山城などで敵を侵入を防ぐ人工的な崖のことですが、発掘調査の結果、石切り場の跡だということが確認されました。
なお、お猿畠という地名は、鎌倉を追われた日蓮がこの付近で三匹の白猿に助けられたという伝承があるそうです。
下から上を眺めることもできますし、崖の上を歩くことが出来るように
ぐるっと回れるように道があります。
(迷子になったから見つけたなんて・・・そんな本当に事は言いづらいw)
尾根の道を道なりに進むと石廟があります。
鎌倉市指定文化財で鎌倉時代末期から南北朝時代の墳墓堂です。
さて、まんだら堂へ向かいます。
前日が雨でしたが、それほど道は悪くありません。
ついたぁ~!ってほど歩かずに到着しました。
まんだら堂とよばれていますが、発掘調査の結果、建物があった痕跡が見つかっていますが、明確な資料はないそうです。
ただ、太閤検地の時にここの地名が「まんだらどう」と残っているそうです。今回1番、びっくりした事柄でした。
ここには、ボランティアガイドさんもいてくださり説明もしてくれるのですが「ここは、高貴でお金持ちのお墓だったんだろうね。僕ら庶民は由比ガ浜にポイって感じかな?」なんて一言に笑ってしまいました。
亀ヶ岡団地口から登ってすぐのとこにある、名越の切通しで1番狭い部分です。が・・・右側の大きな岩は関東大震災で岩が動いたらしい・・・です。
情報通り、大間口から登るときつそうな上りでした。
シダ植物がすごい・・・
多分、あのトンネルの上を歩いたのだと思う・・・
おそらく、まんだら堂でお昼ご飯を食べた時間を含めて全体的に1~2時間で抜けたと思います。(ゴミは持ち帰りましょう)
ここから、鎌倉駅に向かう予定です。