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第36話 待ち望まれた日

敦成(あつひら)親王の誕生!
待ってましたの人もいれば、呪詛するほど望んでなかった人も
いるわけで・・・
でも、出産のための準備といいますか、すごいですね
あれを解読した(?)研究者はどう感じてたんだろうか?

この時代の貴族や帝の子を産むためには、
これだけ派手な準備をするのが普通だったのかしら?
現代社会では、考えられないことです
ただ、無事な出産を望む気持ちは今も昔も変わらないと思います

さて、この時代では普通だったことを疑いもせずに行動を起こす
ことは、現代社会でもあります
それが、良い悪いや善悪で区別することではなく、
「今、ここ」にそぐわなず、疑いもせずに「当たり前」と考え
かたくなにこだわっていることを目にすることがありませんか?

当然、どの国にも伝統・文化があるので、
「今、ここ」にそぐわないことをしていることも当然あります
例えば、「光る君へ」にもあった「お食い初め」
現代社会にも残っている、子どもの将来を思いやった行事です
しかし、藤原宣孝の「御嶽詣」の話を覚えてますか?
道長は「(多分)質素な服装で参詣」してましたが、
宣孝は「派手な衣装で参詣」していました
周囲はあきれていたかもしれませんが、
宣孝は周囲に「派手な衣装で参詣」を強要したでしょうか?

道長の参拝の仕方は、当時の普通だったのだと思います
今まで通りで上手くいっていることは変える必要はないと
考えたとしてもおかしくはありません
しかし、それが「当然」であり「普通」で「当たり前」だけの
理由だったらどうでしょうか?

元々は「当然」になる理由があったのかもしれないのですが、
いつの間にか本来の意味が伝わらず言葉だけが残り、
代々伝えられたことを疑問を持たずに言われたことを言われたとおりに
やっているだけだとしたら、意味があるのでしょうか?

もちろん、伝統や文化は大事なことです
継承していくことは大事なことだと思います
ちなみに私も子ども3人ともお食い初めしましたぁ~w
くいっぱぐれませんように・・・と願い・・・

しかし「当然」「当たり前」「普通は・・・」に縛られているようなら
宣孝のように人に強要しない程度に変えてみてもいいのでは?
と思います
ちょっとした小さいことからでも良いと思います
例えば、当たり前のように無意識に右足からはいている靴を
意識して左足から履いてみるとか・・・
案外、おもしろいかもしれませんよ

さて、道長の正妻の倫子とまひろの関係や
藤原道長のもう一人の妻明子との関係を考えると
人のうわさは蜜の味といわれますが、ちょっとドキドキしちゃいますね


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ライフリメイクタナカ
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