第46話 刀伊の入寇
(写真は、明治神宮の菊花展にて等々力不動菊花会さま)
賊に襲われなり、転んだまひろに周明が手を伸ばす
二人の手が重なった瞬間、周明の手は大きくてまひろの手は
小さいなぁ~と思っていたらなんてことっ!!
ショックでしばらく放心状態になってしまいました
周 明「太閤様とは誰だなのだ。体が悪いと聞いてお前の顔色が変わった」
まひろ「太閤様は、私が仕えていた太皇太后さまの御父君ですの。
昔から思っていることが顔に出てしまって困るわ」
周明は、人の行動を良く見ている観察力のある人だということがわかります
一応、お医者様だからかしら?
もしくは、気になっているまひろだからこそ気がついたのかもしれません
行動に現れたことに意味があると考える気配りに人ですね
思っていることは自分の中のこと。
行動から相手を観察できるなんて、まさに交流分析です
二人があっていない時間にはお互いに様々な出来事があり、
きっと、語りつくせないこともたくさんあり、
それを、少しづつ話せるようになっていく雰囲気で
距離が縮じまっていくのを感じだり、なんだか懐かしい
気持ちも湧きましたがまひろは松浦に行くと自分の望みを
伝えます
そのようなことも素直に伝えることができたのも、
時間が経ったからでしょうか?
さて、常覚の知らせにより「刀伊の入寇」の始まりが知らされます
藤原 隆家は、20年前に安倍晴明が道長に「道長の力になる人物となる」
と言っていたことが、本当に起こってしまいました
藤原隆家がまひろに宋の国の「茶」をもてなす場面で
藤原隆家「目が再び見えるようになったら違う世が見えてきた。
内裏のような狭い世界で位を争っていた日々を、
実にくだらぬことであったと思うになったのだ
ここには仲間がおる。為賢は武者だが信じるに足る仲間だ」
隆家は、都から離れてみて新たな気づきを自分が歩む道を決めたようです
「富などいらぬ。仲間がいれば!」
まぁ~私財がそこそこにあるから言える言葉でもあると思いますが、
気取らずいられる場所として隆家は、新たな自分の価値を見つけたのです
出来事を前向きに、そして気づき自発的に行動し自分を含む周囲と
親密な関係を結んでいったことを考えると、隆家の生き方は
まさに、交流分析の哲学を地でいく生きた方をしていたのではないか?
その結果が成功を呼んだのではないかと思いました
さらに藤原 隆家は、地元の国司ともコミュニケーションをとって
いたようで、刀伊軍勢を集め撃退していきます
博多の警護所は、今でも遺構が残っています
刀伊が浜に降りて鏑矢に驚いてるシーンで、
ジャッキチェーンに似た人がいたのだけど・・・ものまねさんかしら?
場面が場面だけど、違ったドキドキ感がありました
さて、侵略を受けているのに情報が末端まで伝わっていないことで、
とらわれる人や殺されてしまう人が多く出ていることがわかります
そんな中、情報を得ていた藤原隆家は被害を食い止めようと努めます
なんとなくなのですが、お上の人がしっかり頑張っているからこそ、
一般庶民は目の前の日々の生活を精一杯生き抜くことができるのだと
思うのですよ
私は、私の精一杯を日々それなりに生き抜いていきたいな
なんて思いました