第34話 目覚め
興福寺別当の定澄と道長の対決が怖い
緊張感がありました
訴状を受け取らない道長の判断もすごいと思いました
そんな中、陣の定めの最中に興福寺の僧侶が大極殿の朝堂院の前に
興福寺の僧が押し寄せる事態に・・・
その際、中宮大夫は中宮彰子を「奥の間にお隠し参らせよ」と命じた
それを受けて、まひろは
「清涼殿にお連れ申したらいかがでしょうか?万が一僧たちが内裏に攻め込んできたとしても、まさか帝の御身にまでは危害を及ぼしますまい。
帝と共におられることが、最も安心かと・・・」
興奮しているようで冷静な発言!
その後、清涼殿に来た帝は中宮彰子に声をかけ、気遣いをみせていました。
これは、帝と彰子の距離を縮まる雰囲気を作ったのだけど、
当の彰子の反応がイマイチ・・・あらまぁ~でした
そして、彰子はまひろに会いに「藤式部の局が見たいと仰せになって」
なんて理由でまひろに会いに来たのです
さて、この回まで中宮彰子のセリフはほとんどなく、
立ち居振る舞いも儀式にのっとったものばかり
強いて言えば、前回、敦康親王にこっそりとお菓子を渡していた
場面から優しい心遣いのできる人なんだろうなぁ~とは思っていましたが、
良くわからんと言うのが本音でした
しかし、ここにきて、まひろの局に行った時に左衛門の内侍に対して、
「そなたは良い。下がれ。」言い方がきつくない?
それも、左衛門の内侍は、まひろのことを良く思ってないと
公式にも書いてあるのよね
さらに、まひろの局で座った彰子の表情は、非常に冷たいというか、
上から目線の表情はなんだろう?と思っていたのですよね
しかし、口を開いて出てきた言葉が、
彰 子「そなたの物語がおもしろさがわからぬ・・・」
この一言を文字で読むときつそうですが、
下の者から上の人に向けて、申し訳なさそうに言うではありませんか!
先ほどの「そなたは良い。下がれ。」のキツイ言い方はどこに?ですよ
彰 子「男たちの言っていることもわからぬし、
光る君が何をしたいのかもわからぬ。
帝はそなたの物語のどこにひかれておいでなのであろう」
まひろ「さぁ~帝のお心は計り知れませぬ。
されど、私の願い、思い、来し方を膨らませて書いた物語が
帝のお考えになることとどこか、重なったのやもしれませぬ」
彰 子「(ゆっくり軽くうなずきながら)ふ~ん」
なんとなく、このやりとりを見ていて彰子は幼い頃から、
偉い人の子どもで気づいた時には、下手なことが言えず、
人との本当の感情で本心で気持ちを表現し合うことがなかったのでは
ないだろうか?と感じました
そこで、彰子は自分の感じたことを口に出してはいけない。
不用意な自分の言葉が周囲を動かしてしまうことがある。
そのように感じていたのではないでしょうか?
本当は、気持ちが優しく自分を二の次にしても他者を大事に思う心根の
持ち主だけど、本音で話す経験が乏しかった彰子は、
相手の気持ちを汲むことが難しかったのかもしれません
だからこそ「他者を喜ばしたい」気持ちに急かされて、
物語の話をしてくれたまひろに話を聴きに行ったのだと
私は思うのです
断定はできませんが交流分析的に考えてみたいと思います
それさえしていれば良いのですよと彰子が幼い時に選んで
周囲の大人から強く受け取ったメッセージが
「他人を喜ばせよ(親の私を喜ばしなさい)」なら、
自然と心根が優しくなります
さらに弱点を見せるなの「強くあれ」も受け取っていたなら、
自分の「わからない」をまひろに伝えるのは勇気のいることだったと
思われます
だから、あの冷たい「そなたは良い。下がれ。」だったのかもしれません
誰しもが持っている心のクセではありますが、
とらわれてしまうと生きづらさを感じますが、特徴を受け止めて、
自分の強みとして使うこともできます
その点を考えながら彰子の行動をみると、敦康親王をかわいがっているし
大事にしているし病の時も側にいて看病しています
生きづらい、何かがおかしいと気づいた彰子は自分で考えて
行動を起こしました
自分で選んだことは自分で変えることができるのです
心のクセは誰もが持っているものなので、自分の味方にするか
敵に知るのかは、あなた自身です
ただ、焦らずに・・・です
彰子もまひろの話を聴いても「ふ~ん」だったでしょう?
最初の一歩は「ふ~ん」で良いと思います