第24話 築山へ集え!
物語は、今川氏真やいと殿が登場したり大鼠の活躍やらで、
ちょっと、物々しい
徳川家康「兵を集めよ」なんて、厳しい言葉も出てきました。
さて、物語の序盤に大鼠と服部半蔵のシーンがありました。
大鼠 「仕事をよこせ」
服部半蔵「もうやらんでええでないか?忍び働きなんぞ。」
大鼠 「やらんでどうやって暮らす。」
服部半蔵「誰ぞの飯炊いて、着物洗ってよ(沈黙)
お前みたいなものをもらってくれる男もおらんだろうし、
わしの命じた仕事でケガしちまったわけだから、
(花を差し出す)
女子の幸せってのは、男にかわいがってもらうことだろ?」
花を受け取る大鼠は、花をかじりながら「殺すぞ!」と言い放つw
服部半蔵「へっ?」と唖然とした顔になる。
これは、現代でも共感できるやり取りでした。
服部半蔵は、一世一代のプロポーズだったかもしれないけどなぁ~。
服部半蔵の言葉に「女子の幸せってのは、男にかわいがってもらうことだろ?」と言っておりましたが、これって本当?
徳川家康「わしが生まれた頃からこの世は戦だらけじゃぁ、考えたことがな
い。戦をするのは貧しいからだ。民が飢えれば隣国より奪うほか
ない。奪われれば奪い返すほかない。」
これって、本当?
酒井忠次「お方様、仰せになることはわかります。しかし、それは理屈でご
ざる。実際にはそのようには・・・。」
やってもいないのに「実際には・・・」って言いう?
石川数正「少なくとも徳川と武田がそのように結ぶことはできますまい。
互いに多くの家臣を殺され、深い恨みを抱えております。」
う~ん。これは、事実。
話し合いは、それぞれが生産性のあるやりとりを行うことによって、
ことが進むことが大事だと私は思います。
しかし、その生産性のある話し合いに水を差すのはなんでしょうか?
「それ、本当?」と言い返してしまう、決めつけにあるかもしれません。
決めつけは、その人それぞれの幼いころから生き延びるために身に着けた、
思考が関係しています。
決めつけは、時には文化や伝統、ルールなど必要な時もあります。
しかし、生産性がないならば決めつけは必要なものでしょうか?
改めて、見直すことが必要で柔軟に対応することも
必要ではないでしょうか?
過去の経験から思考が出来上がります。
その上で行動を起こします。
ただ、過去の経験から積み上げた思考なので、
現実に即していないかもしれません。
そのことに気が付いたときに心がモヤモヤとするかもしれません。
今までと違うことをすることに心が抵抗している瞬間です。
自分の思考・感情を良く観察して俯瞰しながら自分を眺める
「今、ここ」を大事にする心の機能があることも忘れないように
していきたいものです。
武田勝頼「すまんな。女子のままごとき謀に乗れん。
仲良く手を取り合って生き延びるぐらいなら、
戦い続けて死にたい。(中略)戦いこそが我らが生きる道ぞ。
わが夢は、父がなしえなかったことをなすこと。
天下を手に入れ武田信玄を超えることのみぞ。」
わが夢にしがみついた武田勝頼の末路はどうなるでしょうかね?
大磯の六所神社の続きです。
六所神社で5/5に催行される国府祭(こうのまつり)では、
寒川神社(さむかわじんじゃ)
川勾神社(かわわじんじゃ)
比々多神社(ひびたじんじゃ)
前鳥神社(さきとりじんじゃ)
平塚八幡宮(ひらつかはちまんぐう)
が、神揃山に一同集まります。
この山で行われる祭事は、上記の順番で入山します。
そして、正午になると「座問答」が行われます。
石柱がありますが、これは神社の位置と同じ場所に建てられています。
この場所で座問答が3度行われます。
そのまま、山を進んでみたらどこに行くのだろう?
ワクワク・・・厳しい上り坂もなく、10分ぐらい歩いたところで下りとなり
山を降りる階段では、
三宮比々多神社が入る場所でいた。
祭事では、座問答が終わると「馬場公園」へ降りていきます。