見出し画像

第20話 帰ってきた義経

奥州平泉に戻った義経
なんだろう?
今回は、何回観ても書ける場所がみつからなかったのです
それは、なぜ?と内省していたのですが、
恐らく奥州に行った義時の行動に心を感じなかったからかと
思いました
表情が乏しいからかしら?

本当の義時は、妻である八重に向ける笑顔、子である泰時を抱きかかえる
穏やかな時間を過ごすことが、もっとも本心の義時であり、
この時間・場所を大事にするために噓もつけば、人も操るように
なってきたのではないかと感じました

奥州に行くことを八重に伝えた時に
八重「また、戦ですか?」とたずねられた
義時「案ずるな。藤原秀衡殿の供養に鎌倉殿の使いとして行くだけだ」
八重「良かった」
この、夫婦のやりとり
八重の表情から知っていて?感じていて「良かった」と言ったのかはわかりませんでしたが、少なくとも義時の表情から
(うん、これでいいんだ。これは妻の耳に入れることではない、聞いて欲しくない)と裏面を感じました

また、義時はできる範囲で周囲の人を守ろうとします
静御前のことに関しても政子や実衣とともに、静御前の命を守るために
必死になります
静御前が舞をまう直前にも
義経「あなたは身勝手な人だ。」
静御前「生まれた子が殺されたら私も死ぬ」
義時「それで九朗殿が喜ぶとお思いかっ!」
優しい気持ちからの発言だけれども怒ったような言い方になっているあたりは、義時の心が激しく動いているのがわかります
大姫から「何とかしてあげて。お人が死ぬのは見たくない」と言われて
必死に知恵を絞っています

本当の義時は事なかれ主義の合理主義
何ごともない時ならば、平和で生産性を上げて生活を豊かにすることが、
出来たのだろうけど、見事に適材適所の合理主義を発揮しているのは、
馴れ親しんだ機能でしたから・・・

どの回も演者の方々が素晴らしくて、気を付けていないと激しく感情移入してしまうほどでした
来週も楽しみです

さて、別件ですが5月25日に2冊目となる
「生きづらい私のための」シリーズの
「めんどうな会話の整理整頓」を出版いたしました
文字だけのやりとりを分析することは難しいことではありますが、
ほんのちょっとした工夫でやりやすい会話にすることができます
参考になれば幸いです
5月中は99円です


いいなと思ったら応援しよう!

ライフリメイクタナカ
いつも、お読みいただきありがとうございます。 よろしければ応援お願いします!