第41話 揺らぎ
賢 子「助けてくれた人だもの」
まひろ「それはそうだけど、あのような言われ方をされても
怒ることもなく」
賢 子「私は怒ることが嫌いなの」
まひろ「私にはよく怒っていたわよ」
賢 子「そうだけど、母上以外に怒っていません」
まひろ「怒ることは嫌いなの?」
なぜ、まひろは「怒ることは嫌なの?」と繰り返したのだろうと
思い悩んでいたら、双寿丸との会話になかで思い出しました
双寿丸「俺は、字が読めん」
賢 子「えっ?」
双寿丸「あっ、でも自分の名前だけは書けるぞ」
まひろ「足で書くの?
そなたは、そのような身なりをして、字も書けないなどと
言っているけれど、実は高貴な生まれではない?」
まひろの発言で思い出しました
道長が幼い頃、三郎と名乗っていた時に「怒るのが嫌」とか
足で地面に自分の名前を書いていたことがありました
まひろの中では、過去で印象に残る出来事だったのでしょうね
確かに、まひろは字が書けて当たり前の生活でしたし、
その後ですが父親に怒ってばかりいましたからねぇ~
自分の価値観が絶対ではないことを教えてくれた出来事だったことは、
確かではないかと思います
さて、三条天皇と道長の力争いが始まりました
その結果、明子との子どもである藤原 顕信は、
出家してしまいます
なんでしょうかね?
明子も顕信も、そこにしか自分が存在する場所がないように
感じていたのではないでしょうか?
お貴族様の話ではあるのですが、現代社会にも通じるものが
あるのではないでしょうか?
自分が生き延びる世界は、そこにしかなく、その枠から外れると
人として存在を認められないと思い込み、その世界にしがみ付いて
ストレスをため込んでいる人は多いのではないかと思います
顕信がいた時代は、出家することで命は守りましたが、
現代社会では出家はない
思い込みは、幼い頃からの蓄積もあります
それも、無意識の中にあるから余計にわかりずらいのです
どうしたら無意識にある思い込みに気がつくことが出来るのか?
これが、1番わからない
無意識だから思い込んでいることにも気がつかないものです
もちろん、周囲にいる人が教えてくれることもありますが、
聴くことができる体制が出来ている時でないと耳に入ってこない
ものなんですよね
でも、柔軟に対応できる思い込みにそこそことらわれてない
生き方の方が楽しいと思いませんか?
この、無意識の思い込みに気がつく方法はたくさんあります
ご自分がやりやすい方法が良いと思うのですが、
私は「それは絶対」と思っていることを辞めてみるか、
やってみることにしています
忘れることもよくあるのですが、私はなぜか無意識で左から靴を
履くことに気がついたんです
そこで、意識して右から履いてみました
繰り返していくと(良く忘れてますが)意識して右から履いても
何も困らないことに気がつきました
そこから更に無意識でやっていることに右手で歯を磨いていることに
気がつき、意識的に左手で磨いてみました
これは、無理でした。イライラして辞めました!
そこで、あえて意識して右手で磨くことにしました
これで、無意識ではなく意識的に変わります
意識的に行動をしても問題ない
「それは絶対」と勝手に思っていることを無意識で流されないで
意識して行うことで、自分が意識して思い込みを変えることが
できる自信がついてきます
そんなことを繰り返していたら、私は、大人になってから
気がついたのですが、歩いて行ける場所でも「車」で
行くのが当たり前になっていたことに気がつき、
物は試しに車の運転を辞めてみました
いまでは、お散歩大好き歩いてどこまででも行くよぉ~
なんて、生活環境もあると思いますが、案外なんとかなるものです
ほら、「健康のために一駅歩きましょう」なんてのも同じですよね
無意識で当たり前のようにしていることを、小さいところから
チャレンジしてみて、試していくのはどうでしょうか?
生き方の方程式はないかもしれませんよ
ただ、ここは押さえてください
「あなたは、無意識で自分らしい生き方を阻害しているから、
それを軽減する」ということです
ものを試しにやってみてください
これは、交流分析的に人生脚本の再決断につながります
別件ですが、
椿餅の絵があったことに心から感謝です
あと、イベントにも紹介しましたが、こちらにもご興味を持っていただけると助かります
一緒に交流分析を学んでみませんか?