INTJになる経緯
mbtiを「そういう占いとか心理テストとか信じないから」と言って厭う人がいるが、mbtiとか16 personalitiesというのは予言でも心理テストでもなく 「その人が人生で選択してきたものの表面化と言語化」以外のなにものでもないと思っています。
ちなみにINTJ(建築家)ほどの自己分析オタクになるともちろんmbtiのよう
な自身に関する補足情報は大好き。わたしはINTJなのか、どうしてわたしがINTJなのかをまずここに解こうと思います。
INTJのI
E(xtrovert)とI(ntrovert)の区分は人が周りにいることでエネルギーを得るか失うかの違い。ある人はEとIの違いをこう語りました。
「人はみな、朝起きたとき5万円を手に持って1日を始める。Eの人は人と会うたびに1万円ずつを得てIは1万円ずつ支払っていく。」一定数以上の人と会うとI型のリソースは枯渇し、活動できなくなる。そしてわたしが推測するには、Eは一人で時間を過ごせば過ごすほどそのお金を支払っていく。人と会わない限り活動源を得ることはないという対比なのだと思っています。
Eの人は外見が「陽キャ」ではなかったとしても人の周りにいるというだけで楽しみ、エネルギーを得ている人たち。 Iは常に気を遣ったり、人によっては相手にどう思われているかを案じたり、わたしの場合は常に相手が喜ぶ言葉を与えなくてはいけない、語弊があってはいけない、場にいる全員に利益が及ぶだろうかと頭をフル回転させているので1人になった時に喜びの舞もするし疲れて倒れこむこともあります。
EとIに関してはどちらも持っている人も多いです。安心できる人とだったらEだけど多人数は無理、とか元気な時はEだけど落ち込んでいる時はIとか。
わたしは生粋のI。これはどれだけ明るく振る舞っても人と一緒に過ごしても変わらない事実だけど、決して人といたくないというわけではなく単純に「気を使いすぎて疲れる」タイプだということなのです。
INTJのN
SとNの違いについてはあまり詳しくないのですが、Sは観察結果や過去の数値から判断し、Nは想像性があり、経験したことのないことでも感じられる能力を持っているようで、わたしの本質的に芸術肌であったり、物事を工程ごとに進めず、ショートカットを作り出してどれだけ効率的に動けるかに全力を注ぐ様がNであるようです。
わたしは過去にITエンジニアになる機会がありました。プログラミングを学び、簡単なプログラムならば書いていました。しかしある日、アプリを作るとか、生活を快適にするとか、人々の需要がとかという話になった時頭がバグってしまい、「わたしにはプログラマーは無理だ」と判断したのです。
それに対比して、過去の事例や歴史から導き出し正誤を判断する法律こそわたしにあっているものだと確信し、法律を追求することにしました。
ProspectiveよりもRetrospective。
論理的推論はわたしの生活の一部であり、前述の通り未来の憶測よりも過去の事実を大切にするわたしはSなのでは?と思いもするけれど、おそらく「芸術的なことをすことを好む」のような質問にYESで回答していることからNと算出されているように思います。実際わたしはアーティストであり抽象的な作品を作る傾向にあるし、法律を説く際にも無限の可能性を考え、落とし穴の解釈を突き詰めるのでNで誤りないのかもしれません。
INTJのT
FとTは発達が大きく関係する項目のように思います。無論「INFJだけどずっとINTJの人といたらINTJになった」という事例もたびたび耳にするので後天的になることは十分にあると思っていますが、同じ経験をしても感情的に寂しい、嬉しい、辛かった、幸せだったと完結させその感情を言語化しない人たちもいるし、ミスを犯したり、窮地に立たされた時に、わたしは今どう感じているのだ、この心理状況、肉体的拷問からどのように学び、脱することが善なのかと熟考する人もいる(Tは後者です)。
わたしは自身とマスタースレイブ関係にあり、己を人体模型として使い、痛ければなぜ痛いのだ、嫌だ、嫌いだと思えばなんて抽象的なのだ。嫌いという違和感はどの事例がその感情を導くのだ、嬉しければどのホルモンが分泌されていることによってそう感じるのかと自問自答をし、自己分析をすることによって状況回避をしたり学習をしたりします。わたしはどれだけ精神的に参っても、感情的になってもFになることはありません。INTJのTの部分が先天的にあることは、前の記事に書いたASDの特徴につながるものがあると認識しています。
トラウマが募れば募るほどTになった。Tというのは盾でもあり防波堤でもあります。感情や感性を堰き止める理性。理屈を捏ね回して感情を殺すことができるものがTになる素質を持つものだと認識しています。
INTJのJ
残念ながら、PとJの違いについてわたしはあまり詳しくありません。有識者によればPは「状況に合わせて順応できる」、Jは「規則規定に準ずる」ようですがJ(udgment)の一言にはたくさんの意味が詰まっているようにも思えます。
いずれにせよPは白黒を濁せる型。グレーゾーンを受け入れられる型。Jは白黒はっきりしないと気が済まない型なのでしょう。そう言われればわたしは100% Jです。
しかし法律の回し者ですから、一方の意見だけを押し進めることはない。
加害者も被害者も同様に擁護し、文書を200通り(とは言いませんが多数)の方法で読解する。それこそがNでありJなのではないかと思っています。
わたしは数年前、少なくとも3〜4年以上前から幾度と16 personalitiesを受けてきましたが、結果がINTJ(建築家)ではなかったことはありません。
トラウマを乗り越えたり愛されたり落ち込んだり四面楚歌になったり
どんなことがあっても必ずINTJです。
もしこの4文字から変わる部分があるのだとしたら
IからEに変わる可能性ぐらいですが、ENTJ, ENTPという2型は非常に頭の回転が速い型です。
INTJのわたしは一人でいるときのみ思考をフル回転させているので、人といるときはたいして何も考えていません。
何も考えていないというよりは、一歩外に出れば情報が多すぎるので何も考えられない、が正解でしょう。
ENTJやENTPは対話式で論破していけるのに対してINTJは裁判例を全て読み切って数日経ったあとに誰も何も言い返せないスピーチをしてくるような印象です。頭の回転は遅いがその分綿密。なのでわたしがEになることがあったとしてもENTJにはならないというのは面白いところだなと思います。
おそらくわたしの場合は、人と一緒にいるときは寡黙に熟考しているよりも朗らかに冗談ばかり言っている方が相手も嬉しいだろうと考え、意味のない音を発し続けたりしているでしょうからJはPに変わり(なんでもいいよー、あ、それもいいねー)、NはSに変わり(これ好きって言ってたよね?買ってく?)、TはFに変わるかもしれません(えー一緒に行かないならさみしいー)。つまりわたしは制限時間付きのESFPエンターテイナーであり本質的なINTJなのかもしれないと思うことも多くあります。
16 personalitiesの質問というのは、「今どう感じていますか」という質問ではなく「あなたは本質的にどんな人ですか」という質問集。
自己理解の深いINTJとしては、あの質問に答えれば必ずINTJにはなります。
しかし、「特徴どれだけ当てはまる?」あるあるみたいなものを見ているとわたしはESFPエンターテイナーなのです。
INTJはどう立ち振る舞うことが正解かも分析している。だからこそ表立ってINTJに見えないこともある。そしてわたしやINTJの人間が「INTJです」と言ったところで「あ、そ、そうなんだ・・・」と、INTJってこんな人、は簡単には解き出せないかもしれません。
しかし本質的なわたしの根っこは変わることなく、今後わたしがどれだけ苦しもうと、愛されようとずっとINTJなのです。