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政治の周りで考える幸福観

20200725 草の根の集いオープンセッションで興味深いことに政治の話をしていたら幸せの話が背後には隠れていました。そこで、問いかけを残し、次回の対話に引き継いでいきたいと思います。

|私たちは「幸せ」か?

幸せかって聞かれりゃ、
まぁまぁとしか答えられない。
そんな僕の人生は失敗?君ならなんて答えるだろう?

じゃあ、不幸せかって聞かれりゃ、
そこまで言うほど悪くもない。
どっちかじゃなきゃいけないのか?
無理やり答えてんのもなんか嘘くさい

 ー昨日の涙と今日のハミング by高橋優

大学時代によく聞いていた曲の一つですが、皆さんは幸せでしょうか?この歌詞にあるようななんとも言えない感じがある方が多いかもしれません。

一つの視点として「いつか幸せになれるよ」と囁き合う代わりに、「私たちにとって幸せってなんだろう?」と問いかけあえることが大事かもしれません。

改革も成長も私たちにとっての幸せに紐づいているものだと思います。一緒に考えるといいのは暮らしの「豊かさ」についても問い直す必要があるかもしれませんね。


|私たちが知っている「幸せ」の正体は何か?

「幸せ」「豊かさ」について考えるときなんらかのイメージなしに考えることは難しいように思われます。

いっぱい勉強して、いい学校に行って、いい会社に入って生涯働く。結婚して、子どもを産んで、家庭を作り老後は年金で過ごす。

そんなイメージはないでしょうか?僕にはあります。

幸せや豊かさについて僕は僕の経験ではうまく答えられていないように思います。ポイントはこの「幸せ」像、「豊か」像を僕はどこから輸入してきているのかです。

メディア、家族、学校。それはあらゆる機会を通じて入ってきている情報の集積です。ドラマで素敵な男女が恋をする物語を見れば憧れるし、かっこいい銀行員のドラマを見れば、自分も熱く仕事をしたいと胸をこがす。

相対化することは大切ですが、外部から輸入したものそのままの人物に自分がなろうとしている面があることを僕は否定しません。そうすると、残る問いがあります。

さて、内側から生まれてくる私にとっての「幸せ」はなんでしょうか?何を欲しているのか案外うまく答えられないですね。考えていきたい問いです。

|私たちは何を「知っている」のか?

噂話というのは伝言ゲームによく似ています。話がどんどん尾鰭がつき、元々の話とは全然違う話になっている。SNSが生まれ、情報の拡散力が上がった結果、その傾向は加速しているのかもしれません。

あるいは、事実に基づいた情報をシェアしやすくなっているかもしれません。きっと両面あるでしょう。もっと言えば、テレビや新聞、ラジオなど私たちが信じているメディアにも「噂話」という側面があるのかもしれません。

どれだけ取材を重ねても、「事実」を「事実」のまま伝えることはかなり困難があるでしょう。その上で、その発信のプロセスには多大な人の手を要します。つまり、どこかで伝言ゲーム的な側面を含まざるを得ません。

そんなメディアからの情報を受け取るときに「噂話」の側面を思い出すことができれば、私たちはその情報を取り入れる前に「保留する」ことができると思います。

そうやって入ってきた情報を一時保留しつつ、色々な人と対話を重ねていくことで起きている出来事の全体像が見えてくると思います。多様な人々の多様な「噂話」から起こっている事実に近いものを推察していくこと。

そんな姿勢が今日の情報社会における民主主義の発展には必要なのかもしれません。

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