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きょう心にしみた言葉・2024年10月30日

思い出せないんです。

ぼくも聞かれればね、つまり、自分がわかりもしない勉強をなんでする必要があるんだと。うちにいて、好きな本を読んでりゃいいんじゃないかとかいろいろいってましたけど、何かそれだけじゃ全然ないんですね。

何か学校の雰囲気全体がすごくムッとするような感じで嫌だったんじゃないかと思うんだけど。

谷川俊太郎さんの言葉 「対談集 あなたが子どもだったころ」(河合隼雄・著 中公文庫) から

臨床心理学、ユング心理学の第一人者の河合隼雄さんが、各界の著名人16人との対談をまとめた「対談集 あなたが子どもだったころ」(中公文庫) から、詩人で絵本作家、脚本家の谷川俊太郎さんの言葉を紹介しました。
谷川俊太郎さんは中学1年の時、東京から京都に疎開します。京都での学校生活は楽しいものではなかったようです。いじめっ子がいたり、国語の教科書を「東京弁」で読み上げると、「京都弁」の子どもたちから大笑いされたりしました。徐々に学校が嫌になり、東京に戻ってから「本格的な」不登校になります。そして、全日制の高校には通えず、定時制に編入しました。定時制は、当時の全日制にはなかった男女共学、年齢もバラバラ、そうした多様な友人たちとの交流が谷川さんを元気にし卒業することができました。
谷川俊太郎さんのお父さんは、著名な哲学者の谷川徹三さんです。学校に行かない息子には「高校の卒業資格だけはとりなさい」という態度で接したといいます。谷川俊太郎さんは、高校在学中から詩を発表して注目され、日本を代表する詩人に成長していきます。

河合隼雄さんは対談の中で、谷川俊太郎さんに「不登校になった理由」は思い出せないのではないかと問いかけます。思い出せる人はほとんどいないのではないかとも投げかけました。谷川俊太郎さんは、「思い出せないんです」と応じ「聞かれたら、なんで勉強する必要があるのかとかいろいろ言っていましたが、それだけでは全然ない」と話します。そして、冒頭の「何か学校の雰囲気全体がすごくムッとするような感じで嫌だったんじゃないかと思うんだけど」と続けました。
河合隼雄さんは「今、学校へ行っていない子もみんなそう」と受けて、笑いながら指摘しました。「それを、何で行かないのだと本人に聞いたってね、わかるはずないんですよ」

心の機微に深く通じる知の情の巨人ならではの対話です。子どもたちの生きづらさを、どこまでも理解し、まるごと受け止める言葉が続いていきます。

この対談集からは、これからも随時「心にしみた言葉」を紹介していきます。

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