見出し画像

#0 新自己実現論 〜プロローグ〜

在宅勤務開始から2か月が経ち、ぼくはだいぶその生活に慣れようとしている。

在宅勤務になると、自宅にいる時間が多いためか、自宅の環境を整備したい欲求に駆られていたぼくは、外出もまともにできないこともあり、大掃除&家具を買ったりしていた。

ぼくの住んでいるマンションは3LDKなのだが、(子育て世帯においてはよくある話)そのうちの一室がほぼ物置になっている。先日、その部屋を掃除していて、マズローの『人間性の心理学』をたまたま見つけた。たしか、数年前に古本で購入し、さらっと読んで積読となり、物置に佇んでいたらしい。

マズローは、欲求段階説で著名であることは、人材業界を超えて、おおくの人に知られていることだろう。ぼくも、マズローに影響を受けたひとりで、それもそのはず、noteやTwitterのプロフにあるミッションステートメントには、キーワードとして「自己実現」が使われている。これは、まぎれもなく、マズローの欲求段階説のもっとも高次の段階である「自己実現欲求」から拝借している。

そんなぼくなのだが、さきにも記したとおり『人間性の心理学』はさらっと目を通したくらいで、「自己実現」について根掘り葉掘り調べたことがない。職業柄、心理学は専門ではあるものの、ミッションとして「自己実現」を掲げている以上、これではまずいだろうと思ったことが、この記事を書いている大きな理由である。

“誰もが自己実現できる社会をつくる”

ぼくのミッションステートメントだ。確か、3年か4年前から使っている。そのまえは、「ひとの可能性の最大化」うんぬんと言っていたのだが、なんとなく「最大化」ということばの意味するところに違和を感じて変えた経緯がある。

ぼくが「自己実現」をキーワードとしてミッションを掲げている理由はふたつある。が、その説明をするまえに話をわかりやすくするために、ここで暫定的に「自己実現」の定義を「自分らしく生きる」と定めておこう。

では、あらためてなぜ「自分らしく生きる」ことを促していきたいのか。それは、ぼくの個人的な経験に基づいている。詳しくはこちらのマガジン(未完)に書かれているが、中身を読まなくてもどんなことがぼくに起こったかはなんとなく想像がつくだろう。

ぼくがこの体験を通じて知ったことは以下のようなことであり、それはすなわちぼくがミッションに「自己実現」を掲げている理由でもある。

ひとつには、自己実現は“生きづらさの軽減”につながるということだ。アドラーが言うように、人間の悩みのほとんどは対人関係によるものだと言われる。「自分らしく生きる」ことに難しさを感じるひとは、「他者優先」の人生を歩むことになる。だから、我慢しなければならなくなり、生きづらさを感じてしまう。

そして、このことがふたつめに繋がるのだが、自己実現は“よりよく生きること”に繋がる。ぼくは破滅的な離別を、原因はさまざまあれど、経験した。それはぼくも相手も「自分らしく生きる」ことができていなかったからだと思っている。「自分らしく生きる」ことができていなかったから、ぼくも相手も自分を演じつづけた。その結果、簡単にいえばストレスがたまり、それを発散するかたちで関係も最終的に壊れた。「自分らしく生きる」ことができていれば、抑圧を回避することができ、「よりよく関係を維持できていた」かもしれない。

“生きづらさを軽減”し、“よりよく生きる”こと。誰にでもいえそうなフレーズだが、ぼくが「自己実現」を大切にしているのは、シンプルにそのふたつの理由に尽きている。

ぼくは2006年から人材開発、組織開発に従事している。にもかかわらず、破滅的な離別を招いてしまったことは、プライベートにおいても、仕事においても大きなショックだった。なにせ、ぼくはひとのプロなはずなのだから。でも、この大きな挫折が自分との対話を促した。そして、ぼく自身がより自己実現に近づいたことを自覚しているし、今となれば離別に感謝さえしている。

先にも書いたように、この連載はぼく自身のために書かれている。マズローが唱えた「自己実現」に、ぼくなりの解釈を加えることで刷新していきたい、そのような想いを込めてタイトルは「新自己実現論」と題した。そして、同時に、この連載を書くことで誤配が生じ、転じて誰かのためになるかもしれない。そんなことを期待して筆を進めていければと思っている。

新自己実現論へようこそ。

サポートいただいたお金は、“誰もがが自己実現できる社会をつくる”ために使わせていただきます。