日記 2021/05/31
昨日のことである。
公園に遊びに行ったとき、娘が大きめの石を拾って手にした。卵よりも少し小さめくらい大きさだったと思う。娘はその石をしばらく手放そうとせず、自分の肩くらいの高さから落としたり、滑り台の階段の上に置いたりしていた。
僕はいつか他の子に投げてしまわないかと思ってヒヤヒヤしていて、危ないよ、誰かに当たったらすごく痛いよと声をかけて、地面に置くよう促した。
結局娘は公園から出るまでずっと石を持ったままだった。公園の隅から隅まで、その石を持って回って、やはり置いたり上から落としたりして楽しんでいた。
家に帰宅して、ホークス戦を観ながら久しぶりに漫画本を開いた。数ヶ月前に購入した「よつばと!」の最新巻。購入後、最初の最初の何話かを読んでそのままになっていた。
よつばが海へ石を探しに行く話がある。
よつばとよつばの友達が砂浜で石を探す。いろんな形の、模様の石がある。父ちゃんも一緒になって探し始める。よつばは面白い石を見つけては父ちゃんや友達に見せに行く。
ただただ面白い石を見つける、ただそれだけのこと。
「石拾い なにこれ」
「すげー楽しい 知らんかった」
父ちゃんは最後につぶやく。
公園で娘が石で遊んだその日に「よつばと!」で石の話を読んだのは本当に偶然だった。昨日読むまで数ヶ月もの間、本棚に放置されてきたのである。
公園で娘が石を持っていたとき、僕はなぜ誰かに投げるかと疑ったのだろう。小学生の頃、石を投げられたことがあるからか?石は投げるものと決めつけていたのではないか?
感染症も怖いし、地面に落ちていた石なんぞ触らないと思って、僕は娘が持っていた石を触ることすらしなかった。
「よつばと!」に出てきたようなキレイな石ではなくて、そこらへんにある何の変哲もない石だったが、娘はその石の触って楽しみ、見て楽しみ、そして動かして楽しんでいただけだった。他の子に投げる可能性がないわけではなかったが、むやみやたらに投げるようなことはしない。
なぜ一緒に触って楽しむことができなかったのだろう。
僕は石を触ったり見ること楽しさを忘れてしまっている。
今度は娘と一緒に石を触って楽しもう。公園にある石を探そう。
その後、娘にも「よつばと!」の石の話を絵本のように読んであげた。
娘も「よつばと!」が好きで、第1巻は既に娘のものになっている。最新巻も気に入ったらしく、今日は1人で読んでいた。
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