日記 2021/05/25
今日の夕食時。
どういう流れだったのかは忘れたか、娘がもっと幼い頃の思い出話になった。
本棚の本を全部引っ張り出してたねぇ、とか。食卓の席の斜め後ろにある本棚を振り返って見て、そこにある本がすべて床に散らばっている光景を久しぶりに思い出した。今は乱雑に並べている段もあれば、整然と並べられている段もある。あまり気を使うことなく適当に本棚に本を収められているのは、今ではほとんど娘が本棚に、そして本に触ることがないからだ。娘がよく見る絵本などの本はすべて専用のカゴに入っている。
視線を食卓に戻すと、娘がその思い出話を広げ始めた。
「パパとママはハイハイしていたときのこと覚えてる?」
たぶんこの質問は、娘自身がハイハイしていたときのことを覚えているのかという意味だろう。最近、娘はたまに(娘にとっての)昔はこうやってハイハイしていたのだと、ハイハイを実践してみせる。
「もちろん覚えているよ。ハイハイよりももっと前のことだって覚えているし、お腹の中にいた時のことだって覚えている」
「お腹の中も?」
「そう」
それから娘は一呼吸置いて、僕と妻にとっては生涯忘れることがないだろう言葉をさらっと言ったのだった。
「ママとパパに会いたくて、お腹の中から出てきたの」
僕は妻と視線を交わした。妻の両目にはみるみる涙が溜まり、顔は真っ赤になった。僕も突然のその言葉に動揺を抑えることができず、視界が少しずつぼやけていった。
娘は妻と僕の顔を見て笑っていた。何を思ってそんなことを言ったのかは分からない。僕と妻からはしばらく言葉が出てこなくて、それでその話は終わってしまったからである。妻のお腹のなかにいたときのことを覚えているのだろうか、それとも娘の頭の中でお腹にいたときのことを想像して言ったのだろうか。
「お腹の中から出てきたの」というのは、この世に出てくるときに、娘に意思があったことを感じさせる。
先日も、いしいしんじの「ある一日」を読んで、出産日直前と出産日当日のことを思い出していた。
娘がこの世に産まれてきたその瞬間、僕は病院内にはいたが、立ち会いはしなかった。 いつの間にか産まれていて、胎盤を出してしばらくした後に僕は分娩室に呼ばれた。出産から1時間くらい経過していた。娘がどのような感じで産まれたのか、僕は見ていないし知らない。だが、産まれてくる前からずっと、娘は頑張っていたことを知っている。
妊娠から2ヶ月くらい経った頃だったか、切迫流産になった。ある日トイレから出てきた妻が大量に出血したと報告してきた。
多発性子宮筋腫と診断され、妊娠は難しいかもしれないと言われながらも、運良く妊娠した。多発性子宮筋腫でも妊娠した場合は無事出産する人が多いと医師から言われたが、それでもずっと不安を抱えていた。
妻から大量出血の報告を受けたそのとき、僕はだめかと諦めかけた。でも、妻は大丈夫だと言っていた。まだお腹の中にいる感じがすると。その翌日、諦めの気持ち半分で病院に向かったが、妻が言ったとおり、赤ん坊は無事だった。娘はしっかりと妻のお腹の中でしがみついていたのだろう。
それから娘は、診察を受けるたびにいろんな姿を見せてくれた。あるときはお腹の中を上に下に自由に動き回っていた。あるときはシャーっと勢いよくおしっこを放出していた。
いしいしんじの小説を読むまでは妊娠中や出産時のことを思い出すこともあまりなかったけれどそのときに久しぶりに出産時のことを思い出し、今日は娘の言葉を聞いて妊娠中のことを思い出した。
3歳まであと1ヶ月と少し。
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