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日記 2021/06/08 初めての文字

妻が幼稚園に送り届けたあとの別れ際、娘は初めて泣かなかった。これまで娘が泣いていたのを他の保護者も見ていたようで、幼稚園の先生だけでなく保護者の方々も娘を褒め称え、拍手をしてくれたらしい。娘の中で何か変化があったのだろう、帰ってきたときもどこか誇らしげで、ご機嫌だった。

しばらくの間、娘は絵を描いていなかったのだが、ここ数日急にまた描くようになった。娘に聞くと、幼稚園で絵を描いているらしい。

見てみると、山のような、アルファベットのCを回転させたような模様を何個も何個も描いている。いつ見ても描いているのはその模様である。

昼過ぎに何を描いているのかと聞いてみると、僕の名前を書いているのだという。「パパ」の2文字ではなく、僕のフルネームだ。その後は妻のフルネームを、そして自分の名前をフルネームを書いていた。

描いていたのは絵ではなく文字だった!
描いていたというよりは、書いていたのである。

娘が書いていた文字らしきものを見て、僕自身のことで思いだしたことがあった。

幼稚園を卒園し、小学校に入る直前のことだったと思う。幼稚園でもらった小学校の紹介冊子を眺めながら、小学校で何を学ぶことになるのか毎日期待に胸を膨らませていた。中でも楽しみだったのが漢字を学ぶことだった。

漢字が一体どういうものなのかさっぱりわからなかったけれど、漢字を学ぶことで世界が広がるのだろうという期待があった。漢字を学べば、きっと父や母が話しているような難しいこともわかるようになるだろうし、世界にいろんなことをそれで表せることができるように違いない。

僕は自分の画用紙に漢字を書いてみた。もちろんその当時は一文字も漢字を知らなかったから僕の想像である。大人が使う文字なのだから、複雑極まりない形をしていることだろう。そう思い、持っているペンを強く握りしめ、ぐるぐると何重にも円を書いた後、そこに様々な模様を付け加えた。書き終わった後、まだ足りないと思った。本当の漢字はもっと複雑なはずだ。

実際に学んでみると漢字は拍子抜けするほど簡単だった。全く複雑ではなかった。あまりにも簡素で、こんなにも再現性が高く簡単に書けることにガッカリしたことを覚えている。僕が書いた漢字の方がずっと難しかやんと思った。おそらくそのときには「一」「二」「三」などを学んだのだと思うが、しかし拍子抜けしたのは初めて漢字を学習した最初の一日目だけで、それ以降は漢字はそういうものだと受け止めていたように思う。受け止めざるを得なかった。僕が考えた漢字と実際の漢字はまるで違っていたのだから。

娘はまだ漢字とひらがなの区別もついていないし、当時の僕と今の娘では年齢も全然違うけれど、未知の文字に対する想像の仕方が娘と僕では正反対である。

僕は文字を複雑なものとして捉え、娘はとても簡単なものとして捉えている。間違いなく言えることは、娘の方が文字の本質を理解している。

娘の文字に規則性があるのか、あるとしてどのような規則なのかわからないが、とても再現性が高い簡単な文字を書いている。

こどもが始めることはいつも突然で、いつも驚かされる。

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