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近況
鬱に効く薬を飲み始めてもうすぐ2ヶ月が経とうとしている。状態はかなり改善されたものの、なんだか心に穴が空いたような気持ちだ。薬のおかげで余計な考えや妄想はシャットアウトされるのだが、それと同時に深く物事を考えられなくなってしまったように感じる。考えるのが好きな私にとっては寂しいというか怖い気持ちが強い。でも結局人生余計なことを考えない方が幸せに生きられるのかもしれない。キルケゴールとかろくな人生歩んでいないし。
最近一年前の自分から手紙が届いた。自由丁という名前の素敵なお店にお邪魔した際に書いたものだ。恥ずかしいので中身についてはあまり触れないでおこうと思うが、最後に「作るのをあきらめないで」とあった。過去の自分へ言いたい。安心して。諦めてないよ。
制作、創作、表現など「作る」には色々なニュアンスが含まれているが、どんな方向性にしろ私は作る人を心の底から尊敬しているし、自分もそうでありたいと思っている。誰かが作ったものを見ると、人間の素晴らしさを実感するから好きだ。音楽を聴くとパワーをもらえるし、写真や絵画や彫刻を鑑賞するのも好きだし、建築や服飾は生活に溶け込みながら私を支えてくれる。ジャンプのおかげで毎週月曜を生きられている人も多いだろう。作る人のおかげで私は生きているから、私も同じように誰かの命綱になりたい。
そんな「作る」の源泉である「考える」ことが今はあまりできていないからこそちょっとした危機感を感じていたりもする。感じる→考える→表現する、の真ん中のステップが抜け落ちているのだ。考えることって幸せだったり不幸だったりして難しいな。断薬するわけにもいかないので、今のあまり熟考できない状態でどんなものが生み出せるか試してみるのも楽しいのかな。(ちょっと前の私なら無理やり考えようとして挫折していただろう。成長したなあ)
先日久しぶりに会う友達と一緒に遊んだのだが、例に漏れずノープランだったので、どこに行こうかという話になった。そしたら彼は「どこに行くか決めなきゃって思うのをやめたら、意外と楽しいかもよ」と言った。実際その後宛てもなく歩いているうちに自然と行き先が決まったのだ。人生も同じようなものなのかもしれない。私はずっと自分自身を愛せないことについて自分を責めるというとんでもない負のループにハマっていたのだが、自分を愛さなきゃと無理に思うこと自体をやめてみるのが最善ということに最近気づいた。自分自身の粗探しばかり捗ってここを変えなきゃ、あそこも変えなきゃと思ってしまうけど、変わろうとすること自体が足枷になっていることもあるのだろう。だから今はあまり深く考えられない自分ごと肯定しようと思う。無理に変わろうとしない方がきっといい作品ができるはず。