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Brand-new me

大人になると夢がなくなって、自分に嘘ついて、周りにうまく帳尻つけて生きていく。そんな日常。

ばっかりではない!

長いこと大人をやっていると、いつの間にかアドバイスくれる人がいなくなってしまいます。逆に後輩から「アタシ、どうしたらいいんでしょうか」と助けを求められたりしてしまいます。いつの間に私そんな歳取ったんだろう…とちょっと切ない気持ちになります。気がつけば毎日がルーティーン通りに進み、あっという間に3年くらい時間が進んでたりします。そんな日常に居心地の良さも感じ始めると、さらに時間は早く進む気がします。この前更新したばかりと思っていたゴールド免許の更新の時期がまたやってきます。

繰り返しの毎日を続けたある日、「このまま変化のない毎日で人生終わるのかな?」なんて、ちょっと不安で寂しい気持ちに。私はなってしまいました。

こちらの「シータ先生」は、今までと違う環境に身を置くと新しい自分になれると仰っています。

私はある時、長年勤めた仕事を辞めようと決意しました。

心機一転、タイのバンコクで暮らしてみることにしました。

ダメだ!無理だ!と痛感したら日本に戻って、またあの日常に戻ればいいや。お試し海外生活だ。

英語はかつてほど話せなくなっていたものの、生活していく上では困らない程度は話せたし心配はしていなかった。そんなに英語が助けにならないなんてつゆも知らずに。

実際にバンコクで暮らしてみると、英語が通じる人なんてほんの一握り。生活の為に独学で英語を習得しているたくましい人達もいるけれど、「外国人の客」である以上無駄にぼったくられたりしそうでいい気はしなかった。

それで、全く未知のタイ語の世界に身を置いてみることにした。話す言葉も、文字も、習慣も何もわからない世界。それはまるで、違う星に生きている感じだった。分からなさすぎて、頭がクラクラして吐き気がしそうなほど。

地元の人たちが通う市場に出かけてみたり、早朝から数時間だけ開く青空市場に足を伸ばしてみたり、ガイドブックには決して載らないようなローカルの食堂に行ってみたり。

英語を話す人はほとんどいない。YouTubeやテキストで聞いて練習した片言のタイ語で買い物に挑戦したり、食事をオーダしてみたり。ほぼ、指差しとゼスチャーで凌ぐしかない。何にも通じない。欲しいものの一つさえまともに伝えられないことの恥辱感と言ったらなかった。英語なんて、なんの役にも立たないんだ。そう痛感した。

そこからが新しい自分になる挑戦のスタート。

新しい言語を学んで、今まで遭遇したことがないたくさんのハプニングに見舞われて戸惑うこと数知れず。日本での常識を普通だと思っていると、ここでは暮らしていけないということを実感する。それに目くじら立てて怒るのか、「それでいいんだー」と笑いに変えるか。それは自分次第だということも学んだ。それは言語習得よりももっと大きな収穫だと思う。

新しい環境に身を置くと、自分が変わる。

今まで知らなかった世界を受け入れて、考え方を変えてみる。それは、自分の信念のようなものを取り替えてしまうことではなくて、容量がアップグレードするような感じ。

あの時、思い切って決断してよかった。タイで過ごした日々は私の人生の財産だと思える。

明日はどんな新しいことをやってみようかな?

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Kemmy
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