物にいだくいとおしさの正体
今回の渡仏は、蚤の市を巡る買い付け旅。
だから自分のお買い物はほとんどしていない。でも、ヴィンテージアクセサリーは例外。古いもの、引き継がれたものの魅力に憑りつかれてから、ちょこちょこ収集しているものだ。自分の時間をあまり取れない分、蚤の市を巡るついでに、良き出逢いがあったらヴィンテージアクセサリーをお迎えしようと思っていた。実際、いくつかの出逢いに恵まれた。
ヴィンテージならではの佇まいは、ほんとうにうつくしいと思う。
これは、パリの蚤の市でおばあちゃんから買ったイヤリング。ちょっと重いけど、存在感は抜群。何だろう、”重厚感”の”感”ではなくて、ちゃんと物理的な重さがあることって大事なのかも、と思った。
身につけていることさえ忘れてしまうくらい軽量化されたアクセサリーよりも、「今日の私はこのイヤリングをつけているんだ」と、耳たぶから重さや感触が伝わってくるものを身につけていたい。ウキウキしてくる。
そういえば、私がヴィンテージやアンティークの世界にのめり込むきっかけになった物も、重かった。信じられないくらい重かった。
とあるフリマで鉄製の扇風機を見つけた。メーカーは、東芝の前身、芝浦製作所。大正時代のものだ。
家電こそ、機能性を追求していくものの代表だろう。それなのに、べらぼうに重い、この鉄の塊に魅力を感じてしまうのは、何でも便利になり過ぎた時代に生きているからなのだろうか。
スイッチを入れるにはコツがいる。接触がうまくいけば、数分後ようやくゆるやかにプロペラが回転する。エンジンが温まった鉄のプロペラは、やがてブオンブオン音を立てて強風を送ってくれる。まあ手間のかかること。でも、この手間の先に愛着があるのではないか。
重いイヤリングがいつの間にか耳から落ちてしまわないように、時折つけ直す。確かめる。意識を向ける。
わたしはこうして古い物たちに世話を焼いている。あるいは、いとおしいと感じている。