ダウン症宣告
家族5人。ダウン症の長男と石垣島で暮らす家族のありのままです。お時間あればお付き合いください。
ボクは産後に名前を決める。長女も次男もそうしたんだけど、ダウン症の長男だけは顔を見てもチーッとも妙案が浮かばなかった。顔が変…いやいや変わっているからなのか…結局誕生前に(仮)で読んでいたナゴムを世を偲ぶ仮の名前として、ボクはココロの中で密かにゴーレムと呼ぶことにした。ヘブライ語で泥人形、お顔を見て独り合点、ゴーレムナゴム…語呂もいい。
ゴーレム…ナゴムの染色体検査の結果を待つ期間は、初恋の相手に告白する・しない、すき・きらい…と花びらを1枚1枚チギッては空に放ち、また新しい花をの繰り返し。90%間違いありませんと宣告されていたものの、残りわずか10%にかけていた。もしかしたらと思う毎日。未確定であれば、まだ夢を見てもいいんだと微かな希望を抱きつつ、結果を受け容れることは出来ずとも受け止める、半ば諦めの心情だった。夜中に目が覚め、空を眺めてナゴムを迎えるUFOがやってくると夢想する日々。
ダウン症の典型的な特徴は外見を除くと、心臓をはじめとして腎臓、膀胱、甲状腺異常などの先天性疾患、糖代謝不良、筋弛緩による筋力の不足などなど。ありがたいことに誕生した時点で大きな心疾患は見つからず、ただ小さいものや他の疾患はこれから検査をしなければわからない、そして筋力は異常に弱くそれによってオッパイ・ミルクを吸う、ほ乳力が乏しい、故に体重が急激に減少していった。ヨメはたった5mlのミルクを飲ませるのに1時間を費やし、寝ている時間以外はほぼそれにつきっきり。時間をかけても効果がなく徒労に終わる。今までの人生で感じたことがない無力感。これがいったいいつまで続くのか。絶望に近い失望感に苛まれた。
誕生から3週間が過ぎた頃、相変わらずのユルい表情で口からミルクを吐き戻すゴーレム…ナゴム。もう見慣れてしまったこの光景。病室でいつもより少しだけ力なくヨメと笑い合っている時、見計らったように先生が2人入ってきた。1人の先生が手にしていたカルテ。告知の時、審判を受ける。結果は想定していたものの、やはり堪えた。受け止めることはできても、受け容れることはできなかった。ただやらなくてはいけないことがたくさんある。ボクはこんな未来を全く想像していなかったので、出発の時が近づいていた。そう長男の誕生と同時に1年近くを北国で暮らす手筈をすでに整えていた。ナゴムくんを連れて旅に出るんですか!?仰天するお医者さんに看護師さん…そりゃそうだ。出発まで2週間しかない。でもボクはそれを最後の旅にして、その後はまじめに…年金がもらえるまで、定年退職するまで普通に働くつもりだった。それがまさかこんな展開になるとは…人生は素晴らしい。