京都音楽博覧会2023角野隼斗さん10.9
心配された雨雲も何とか雨をこらえ、グランドピアノと内部が露わになったアップライトピアノがステージに登場する。
待ち侘びた私達の前に一旦登場し軽く音を確認して袖に消えた角野さん。
改めて拍手でそのお姿を迎えた。
白いシャツとくるくるのヘアスタイルの出立ちも相俟って、今日も幻想的なふわふわした空気を纏っていた。
注目する第一声。
角野さんがグランドピアノに向かって座って弾き始めたのはショパンの「英雄ポロネーズ」…。
一つ前のステージは角野さんもずっとずっと憧れておられたティグラン・ハマシアンさん。角野さんがファンにもお勧めして来られたハマシアンさんはアルメニアという東欧のご出身で、温かみや懐かしみのある音楽が心を掴む。
今回はピアノ、ドラム、ベースのtrioでティグランさんのJazzの世界観をCOOLにストイックに聴かせて下さった。
(今回のテーマと同じ公式の動画を載せておく)trioの各々のリズムがそれぞれに掛け合って、ティグランさんが奏でるYAMAHA のクリアな低音がステージの空に夕闇の帳を連れてくる。
そのステージと入れ替わりでの角野さんだった。
最初の1音が重厚な大人の空気をガラッと変えた。
白い光を音として放つ。
そこに天国の遊び場みたいな空間が浮かび上がる。
後でピアノを良くご存知のフォロワーさんに伺ったのだけどグランドピアノはかなり古いSteinway製で弾きづらいものらしかった。
実際最初角野さんは見る限り操りにくそうにされていた…が弾いている内に確実にピアノを掴んでこられる。
先日角野さんが2023年のソロツアーで使用したアップライトピアノを恐れ多くも弾く機会があった。(UPRIGHT PIANO PROJECT かてぃんピアノ)※2023年10月現在開催中
当たり前だけど想像以上にちょっとやそっと触れただけではど素人に操れる鍵盤の感覚ではなかった。その事を思い出す。
フェスで用いるピアノは雨のこともあるのか屋外用としてもう駄目になってもいいような古い、扱い辛い物を用いるのかもしれない。
またフジロックで魅力を感じられただろうその古いピアノのゴツゴツとした迫力も求めてのことかも知れない。
そして角野さんはその難しいピアノをステージ上の数フレーズで物にしてしまうのだと改めて思った。リハーサルでは殆ど触っていなかった。
そしてご自身を信じていると思った。
「英雄」が華やかな音色を放ちながら歩みを進める毎に観客の熱気が高揚してくるのが分かる。
一つの音に更にたくさんの細かい音符が付いてるかのような角野さんの音。
今まで聴いたときより強弱が自在に付けられ、何度も聴いたはずの角野さんのポロネーズが新しい世界を連れてくる。
そして観客席にはそのクラシック曲である英雄の、そして角野さんご自身の端正な音の魅力をストレートに軽やかに披露してくる。
楽しんでも楽しまなくてもどちらでもいいよ、でもこの曲かっこいいよね!という楽しませようの向こう側にあるようなあるがままの演奏。
何て方だろうと思った。
最後の1音に重なるように拍手とヒュー!と歓声が起こる。
この日だけでも様々なアーティストのステージを体験して(実際には殆どは家族の事情でほぼまともには聴けなかったが、それでも音楽や歌の素晴らしさ、ステージングの楽しさは充分に伝わってきた)ふと思ったのだ。「考えたら角野さん…ピアノ1台だよね…どうなるんだろう…」
それはその後のMCで角野さん御本人からも言葉として語られた。「ピアノ1台で…あ、2台ありますけど…2台でどう盛り上がるかわかりませんが…正解はないので体揺らしたり、ゆったり聴いたり皆さんそれぞれに楽しんで下さい。」
角野さんもどうなるか本当に分からないのだと言葉のニュアンスから受け取る。分からないことをさらっとにこやかに言ってしまう。一緒になってドキドキせざるを得ないこのシュチエーション。策士である。
次に奏でられたのは「大猫のワルツ」。
「実家に太った猫が居るんですがその猫をイメージして作った曲です」。
ここで改めて「ああそうだ今日はフェスで初めてのお客様がたくさんおられるのだ」と思った。誰が聴いても楽しく大きめの猫ちゃんがユーモラスに戯れる姿を思い浮かべられるこちらの曲。様々なモチーフがくっきりと色鮮やかに聴こえる。
テンポがゆらゆらするところではいつもより更にゆらゆらしていてとても楽しかった。
そしてやっぱり角野さんのワルツは心が踊る。
(ところでフェスらしくステージの両サイドには大きな画面が設置され角野さんの姿、手元がとびきり美しく映し出されている。
これがとても困った。
割りとステージ前方まで行けたので、折角のステージ上の出来事を自分の目で見るのか、それともカメラを通したものを見るのか…。
感覚が単一でしか持ち得ていないので真正面を向いていることにした。ライブ映像が後日WOWOWにて放送されるとの事…モニター映像が見れるかは分からないが加入したいと思えるほど見たい)
3曲目は「胎動」。
重低音という言葉が浮かぶくらい左手の低音が響き渡る。それはこの音に護られていると感じるあたたかく力強い音。
高音は目を閉じると野外の穏やかな夕の空気に乗って、耳を傾ける人の所まで届いていくような、掌に乗りそうな、小さいけれど形ある音。。
アルペジオで高低差を行き来する繰り返しの波に段々と会場が静まり返ってくる。
演奏が終わるとステージ真正面から歓声を食い気味に送るアツい男性客の方も何人か見られ、主催者である岸田さんの言葉をお借りすればどんな方も「惚れてまう」のであろうと思った。角野さんの魅力の前では自分も含めなりふり構っていられなくなるのだ。
最後の1音を響かせると沢山の拍手を受けアップライト側に座りなおす。
その少し手前の瞬間で会場近くを走るの線路方向から「ファン…!」という列車のクラクションの音が響く。
角野さんのピアノを野外フェスで聴いている事を改めて実感した瞬間。
意を決した表情の次の瞬間剥き出しの内部に手を触れる。
「ガン」という弦同士の不協和音が「追憶」の鍵を開く。
この曲が私のこの日の1番だった。
今日は全く違う感覚の「追憶」だった。
今までは旋律の痛々しさが際立ち、焦燥感に心が掻きむしられるような感覚になって、聴く時はいつも無意識に覚悟が要ったのだけど、今日の追憶は。
聴いた側がそれぞれに持っている傷や弱さをそのまま開放させて、そして癒やしてくれる靭やかさと美しさを自然と表現されていたように感じた。
鍛錬された手捌きから紡がれる、ピアノではない何かしらの音の優しい旋律が泉のように湧き出だす。時折聴こえる爪の音。
ショパンのピアノ協奏曲2楽章が微かに含まれる旋律がそれはそれは優しく儚くて…
そしてそのまま角野さんの腕がアップライトピアノの正面に伸びる。
弦に直接触れて刻まれるビート。
「えっ?何何?」
声に出さずともお客さんの台詞が飛び交っているのを感じる。
沢山の目が耳が更に角野さんとステージのピアノに向けられる。
内部奏法を混じえた印象的なフレーズが途切れて現れたのはパルティータ2番のCapriccioだった。
ここで…アップライトもお目見えした時に、初めてのお客様も多い中、角野さんの代名詞とも言えるグルーヴを発揮できるカプースチンが演奏されるのではと思ったが。
このパルティータ、角野さんの弾くグルーヴが心地よくて時々動画も視聴する(Instagram Reel動画へ)けど
この日の演奏は音を置きに行く様な、けれどさらっと聴いていてもその音が後まで体に残っているような演奏と聴こえた。
そして私には初めてダイレクトに教会に響く鍵盤楽器の音色を感じた瞬間があった。
また先程の内部奏法と鍵盤のフレーズが奏でられ今度はイタリア協奏曲のフレーズが空気を明るく鮮やかに変化させる。
その華やかな音色にお客さん達の反応も色めく。
最後の音を繋いで徐ろにグランドピアノに向かって座りなおす。
ファンである私達には見慣れた(でもカッコいい)姿だけど、初めて見る方にはこの切り替えの瞬間もハッとなるのではと思う。
そこから始まる「アイ・ガット・リズム」。
たくさんおられるご自身のファンを信じてか手拍子を待っておられた様にも感じる。
そしてファンの方も(初見の方もおられたと思うけど)馴染みあるフレーズが始まると同時に手拍子を打つ。
最小限数のステージ上の楽器の音と最小限の観客席の音の掛け合いが大きなフェスの終盤の時間帯で成立する凄さ。
そして次第に複雑にレベルアップするピアノに皆拍手を止める。
それだけ角野さんのピアノが空気がこの会場のお客さんと空間の全てを操っていた。
そして思う。
やはり今日は感覚に任せて弾いておられない。
いい意味で脱力感がありつつ、淡々と、しかし音には意思を持たせ鍵盤を鳴らしてゆく。
今日はフェスだしと思って気軽に完全にノリだけ聴けるだろうと思っていた私だったが必死で耳を傾けている。
集中しすぎてふと見渡すといつの間にか空も真っ暗だ。(その為か響いていたらしいイルカの声カラスの声…も気付けていない…これは私の耳が悪いだけ…涙)
とにかく無理のない角野さんのピアノ。
弾き慣れた曲をまた再構築して弾かれたような…ご自身への挑戦とも取れる、勢いとかテンポ感などの「得意」を一旦外したような演奏。また拠点を移されてから掴んでおられるであろうNYの風というのも今回は私には感じられず…。。
また他の出演者の方と違って改めてピアノ1台(2台、でも弾く人は角野さん一人しかいないからやっぱり音としては1台)しかない。
たくさんの音を鳴らしても限界がある。
それなら。
もしかしたらそういう逆転の発想がこの日のステージだったのかもと思う。
その分純粋にその曲における音色のひとつひとつを感じ、状況を感じ、「何だろう?」を感じ…。
今まで培ってこられた演奏の多彩さ、ピアノという楽器の魅力を楽しく美しく伝えて下さり。
それは純粋に角野さんが心地よく楽しんで野外で弾くという状況をご自身で味わわれながら弾いた結果かもしれない。
けれど私には今までよりまたひとつ枠を超えた先への表現を求めてのステージのように思えた。
そしてその事が、より大きな世界観でフェスに集まったたくさんのお客さんの耳と興味を捉えたのではと感じた。
「次が最後の曲になります」でファンの方から「えーーっ!!」のレスポンス。
「期待していなかったので嬉しいです笑」
フェスだからこんなやり取りも楽しい。
そして「一緒にやりたい方をお呼びしてもいいですか?」と観客席に呼びかける。
角野さんに呼ばれ拍手で迎えられたのはフェスの主催者である、くるり岸田さんだった。
角野さんがクラシカルにやっても合うのではと角野さんが先日訪れていたという事と(10月13日訂正)この曲をレコーディングをされたというウィーン繋がりで「JUBILEE」を二人でやって下さった。
オリジナルはこちら。(「JUBILEE」くるり)
失礼ながら岸田さんといえば私にはロックのイメージしかなく角野さんとラジオなどで共演する機会でクラシックにもお詳しいことを知った。
だからこそ。
クラシックピアノと、エレキギターの今まで聴いたことのない掛け合いと融合。
それは何処までもあたたかく、切なくて。
また角野さんのピアノに引き出されたような、否、実際引き出された岸田さんの何とも言えない甘く掠れたサビの声。
はっきりと聴き取れた歌詞に私の経験も重なって体に浸透して自然と涙が込み上げてくる。
ソロで鳴らしていたピアノとは全く別の開放感と岸田さんへのリスペクトとこの曲への愛が角野さんのピアノを全開にさせる。
この時の角野さんが1番生き生きとしておられた。
ドラムがないのにベースもないのに最終のくるりのステージに向けて角野さんを聴いていたであろうくるりファンも間違いなく感動したと思うお二人の「JUBILEE」。
(後でシート席を通る時に興奮気味に感動を口にされていた方を見かけ、そのお気持ちわかりますと思った)
角野さんは最後にも言葉として「このステージに立てて嬉しい」と喜びと感謝の気持ちを述べられ、そして岸田さんも角野さんの演奏で歌を歌える事をとても喜んでおられたのが伝わってきた。
お互いを称えられてそのステージは幕を下ろした。
この日の角野さんを振り返ると…フジロックより更に進化されていたのはその環境やお客さんや一緒になるアーティスト…ひとつひとつの事柄をあるがままに捉えて自己を信じて演奏すること。
多分次なるステージも、見据えながら。
あっという間に終わってしまったが、少し頑張って(個人的には大分頑張って)ここに来てよかったと思えた時間だった。
角野さんが模索する経過を感じられる事がとても貴重に思えるから。
ここで私のポストを2件
そして感動したのは終了後に見たSNSでの感想の数々。。初めて角野さんのピアノを聴かれた方の驚きと興奮のポスト。
お会いできなかったフォロワーさんとでも同じ演奏を聴いた事の共通の思い。
また逆に全く違う感想だったり。自分が気づかなかったことだったり。
沢山の方と同じステージを経験して色んな感想を拝見できる素晴らしさにも改めて気づけた。
そしてどのご感想も素敵すぎて角野さんのおっしゃった通りひとつの正解なんてないと感じた。
「どう盛り上がるのか僕にもわからない」と仰っていた結末がここに。
先に何が待っているか分からなくても角野さんは更に今どんどん階段を上っておられると感じる。
新しいファンを生みながら、周りの方達のこと、支えてくれているファンのことは本当に大事にしながら…。
次のステージはどんな場面でどんな音楽をそしてピアノを聴かせてくださるか…。
私も日々を過ごしながらまた幸せな驚く日の為に準備をしていたい。
そして好きすぎて時折現実との折り合いに本当を見失ってしまう時もあるけれど、好きなものは好きだと胸を張って言える自分でありたい。
長いレポート&個人的な考察をお読みくださり本当にありがとうございました。