司馬遼太郎と8歳次女と韓国へー1日目と2日目
長女あかりとも、小学校3年生の終わりの春休みに、台湾へ二人旅行に行った。あれから2年弱。次女かおちゃんと韓国の釜山へ。釜山に渡るため(だけ)にわざわざ博多まで行き、そこからフェリーで。全行程5泊6日。西へ、西へ。司馬遼太郎の『街道をゆく―耽羅紀行』を一冊読み終わるくらいのんびりと行った。
1日目。名古屋→大阪途中下車(一時帰国中の友人ファミリーとランチ)→新幹線で福岡・博多へ
博多・中洲の夜。博多は空港、新幹線駅、国際フェリー乗り場が近い。周知の事実だけど、新幹線駅が街の中心部に止まる東京、名古屋、博多などと、大阪(新大阪)、横浜(新横浜)など別の駅になるのとでは心理的距離が変わってくるなと実感。
2日目。韓国ウォンに換金するための日本円を引き出しにUFJへ。近くの本屋で娘用の本を買い、バスで国際ターミナルへ。2階のレストランがおしゃれそうだったが、ウェディングパーティーの準備をしているらしく貸し切り。快晴で、全てが美しく見える日。12時半にフェリー「ニューカメリア」出発。2等部屋だったが快適。船自体は新しくはないので、お風呂はあまりお勧めできない感じだった。船内はレストランは休業中で、冷凍食品の自販機を駆使してごはん。
この海を、古代から人は行き来していた。倭寇はこの海を荒らし、白村江の戦いでは百済の国への援軍として多くの人が日本から渡った(当時”日本”と名乗り始めた時代?)。中間地点、それよりむしろ朝鮮半島に近いところに対馬がある。第二次世界大戦後は「韓国の領土」と李承晩が一瞬言及したらしいが、あまりにも古代から日本とのつながりが濃くあった土地なので、その後は議論にならなかったらしい。(今、『街道をゆく―壱岐・対馬の道』を読み始めたところ)。
そんな感慨はもちろんかおちゃんには伝わらないので、お菓子を食べたり甲板に出たりしながら6時間を過ごす。釜山到着は18時40分。
釜山も、博多と同じく中心駅と国際ターミナルが近く、陸橋を歩いていくと釜山駅に着く。駅の、クレジットカードが使える定食屋でご飯。そこから徒歩15分くらいの場所まで歩き、宿を発見。21時ごろには就寝したかと。