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かくして路頭に迷うことなく、非華麗なる海外転職

 火曜日から水曜日へと日付が変更した瞬間。

 真夜中ではあったが、私はシャンパンを冷蔵庫に入れて冷やした。五年前に戴いたロゼ・シャンパンだ。可愛らしいピンクのバッグに入っている。あまりに可愛らしいから勿体なくて開けることが出来なかった。

 このシャンパンの栓を抜く時は、何か特別なお祝いをする時だ、大切に保管をして来たが、ついにこれを開ける時が来た。

 
 
 ついに転職先企業にて正社員になったのだ。

 最近、六か月間は憩いと呼べるような時間も少なく、必要経費以外の出費も控え、緊張感の中で暮らして来た。

 それが私にとっては、試用雇用期間付きの企業へと転職をするという意味であった。

 転職に際しては、リクルーターさんのコネと知恵を借りた。というよりは、英国人リクルーターのジェイクの紹介して下さった候補先の面接に臨んだ、という手順であった。自分で何枚も履歴を書いて送る、などとは気の遠くなる話である。そんな気力はない。名の知れた企業はいずれも競争率は50倍から100倍である。

 ジェイクは二件の候補を紹介して下さった。
 
 一件目は旅行会社、同社の企画する旅行、同社所有のホテル、航空機等の利用料は全て半額、年に六回の視察を兼ねた社員旅行。

 旅行好きの私にとっては最適の職場じゃないか、と私は非常に乗り気になった。最適でなかった点は、私の従事したい業種ではなかったという点であった。すなわちプロジェクト・リーダーのような業種であった。



 果して、旅行会社とのデジタル面接は、ほんの二十分で終わった。望み薄である。これがもしデジタルではなく、実際に会ってみたら状況は変わっていただろうか、と今でも時々考えることがある。

「それは少し短かかったねえ、でも短い面接が望み薄とは限らないよ」、とジェイクは慰めを試みた。

 二件目は小売会社、同社の製品を無料で持ち帰ることが出来る、という。残念ながら、私には必要のない製品であるが。

 こちらは事務所にての直接面接であった。未来の上司になる人は、全ての無駄をそぎ落としたような合理的かつ頭脳明晰な人であった。どちらかというと鈍重な私とは正反対だと感じた。

 しかし、彼との面接は、旅行会社の時と反して二時間にも及んだ。

「二時間、それは長いね!」、私も驚いていたがジェイクも驚いた。

「君さえ良ければ、次の面接を進めてもいいかな?」、長い面接の最後にに、未来の上司にそう打診された。彼とはさほど話も弾まず、距離も縮まらなかったため、驚嘆した。

 以前の勤務先との面接と比較してみた。以前の上司は、友好的アプローチを示してくれた。

「家族構成は?へえ、娘さんがいるんだ、僕もだよ。子育てのこと、いろいろ教えてよ!」、凛々しい顔を輝かせてそのように興味と好意を見せてくれたのが以前の上司であった。しかし期待に反して、その上司とはそれほど親しくなることもなく、彼は数年後に突然辞めて行った。



 現在の転職先の、二回目の面接は、未来の同僚との面接であった。技術テストが課されるようなことを示唆されていたので、ここでは技術的な質問があるかと構えていた。

 ロビーには、かなり長身で見栄え良い若い男女が立っていたため一瞬圧倒されてしまった。そして、この面接でも技術的な試験のようなものはなかった。同僚としてのケミカルが合うか否かを問うものであったらしい。

「See you again if we are meant to see each other again(もし再会する運があるならまた会いましょう」、男性の方が別れ際にそう言ったのが印象に残った。

 そうなのだ。
 面接に受からなければ、彼らに再会することはおそらく二度と無かったのだ。仮に、彼らが合格サインを出したところで、人事担当者と部長との面接も残っており、身辺調査、給料交渉等にて決裂する可能性もある。

 面接に際しては、この方の動画を片っ端から見たが、一つ大失敗をしてしまった。

 

「我が社に関してご存知のことを述べて下さい」

 これが最初の質問であり、かなり頻繁に問われる質問であるに拘わらず、これをコロッとミスしてしまっており、かなりしどろもどろに答えてしまった。

 また、参照人も二人立てなくてはならなかった。一人は同僚、一人は上司、という条件である。しかし常識的に、勤務先の上司に転職のための参照人になってくれとは依頼し難い。以前の勤務先の上司でも良いとはされるが、参照人はあまり昔からの人ではなく、大抵は二三年以内の知り合いを要求される。

 そう考えてみれば、転職というものは大仕事である。

 身辺調査書のコピーには、過去数年の年収、犯罪歴の有無、出生地等が全て記されてある。

 三回の面接を経て、契約書にサインをするまでの期間は、実に二週間であった。かなり迅速なプロセスである。

 契約書のサインをしたあとに、親しい同僚達には少しづつ転職を告げ始めた。若い同僚たちは激励をしてくれたが、年配の同僚達の反応は、「何故、こんなに安定した会社を飛び出して、わざわざ試用雇用期間のある企業に転職なんて」、というものであった。

 電子契約書にサインをする時は、手が震えた。

「今なら、まだ後悔出来る」、そのような考えが脳裏を過ぎった。
「同僚達、向上心には欠けるけどいい人達だった、アフタワークが年に十回もあって楽しかったなあ」、いざ辞めるとなると、思い出すことは良いことばかりであった。

 毎朝九時直前に滑り込みセーフ。多少遅れてしまっても、「自転車にワンピースが挟まってしまった」、などの(本当の)理由を述べていれば、詰る同僚もいなかった。十六時頃からは同僚達はポロポロと帰宅を始める。通勤は週に一回から三回程度で十分であった。

 すなわち、以前の職場は比較的緩かったのだ。新しい職場に転職してから、そのことを初めて認識した。



 現在の職場は、勤務時間もきっちりと八時から十七時であり、人に依っては毎日通勤している人もいる。

 毎日が緊張の連続であり、朝五時起きの生活が始まったため、帰宅後は疲れ過ぎて何も出来ない。直属の上司を始め、全員が年下であり、テンポもまったく異なる。私がトロトロと連絡事項を書いている間に、数件のメッセージが飛び交っている。

 勤務時間も含めて、おそらくかなり苦労することになることは予想はしていたが、人間関係を始めとして、実際にかなりの心労を強いられている。余裕で業務をこなしているとはまったく言えない。

 以前の勤務先に留まって居たら、同僚の助けを借りる必要もさほどなかった。同じような業務を繰り返していたからであろう。同僚を技術的にアシストをしたこともありそれが自信に繋がったこともあった。

 直属の上司に辞表を提出した時、「ニ三日以内なら後悔出来るよ」、と諭され、多少動揺はした。

 この辞表を取り下げれば、秋にもこの企業にてゆったりと勤務をしながら、日本帰国も予定できる。転職をして、試用雇用期間に失敗をした場合、秋には日本帰国どころか、再度職探しに走り回っている羽目になっている。



 しかし、私は何かを変えたかった。風水を転向させてみたかった。
 
 転職後の勤務時間は格段に長くなった。
 自転車にて三分だった通勤時間は三十分になった。
 勤務中に「お茶」をする時間は無くなった。
 新しい人間関係を築くために非常に苦労している。

 だが、後悔はしていない。
 
 以前の勤務先に残っていたら、おそらく秋にも、来年にも、再来年にも同じような業務を続けていた。転職先の勤務先は、常に最先端のテクニックを導入しようとしている。すなわち、来年はどのような業務を割り当てられるか、再来年にはどのようなテクニックが導入されているか、まったく予知出来ないのである。

「君の専門のIT分野が引手あまただったのは、十年も前のことだよ。君ぐらいのIT技術者は今なら沢山いるよ」

 数か月前、知人にこう悟らされた。井の中の蛙大海を知らず、とはこのことであった。私は現状に安泰な立場ではなかったのである。

 皆様はどのようなお仕事をされていらっしゃるのであろうか。

 技術的にも、人間関係にも行き詰まりを感じる時があったら、風水を変えてみることも一つの選択肢かもしれない。決して楽な道ではないかもしれないが、同じところで悶々と試行錯誤をしている毎日も建設的ではない。



 酷暑に地震に台風、どうして日本人は日本列島に日本を建てることにしたのでしょうね。しかし自然災害があるが故に日本人には助け合いの精神が生まれたのだろうか、などと日本に住んでいない立場から勝手なことを推察しております。どうか皆様がお元気でお過ごしになられますように。 

行間区切りの写真は日帰りクルーズ船バイキングラインからの景観です。クルーズの大半は先の見えない霧の中でした。

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