2025の始まり
ここ2,3年ほど、どうやら自分が埋もれていたようだと気づく、それは、それよりももっと前からなのかもしれなくて、子育てが始まってからなのかもしれない。
それが嫌で後悔しているだとか、心底嫌気がさしている、とかではなく、全身全霊で愛すべき命たちにであえ、それらに自分の全力を注いできた結果。だから心底嬉しいことなのだ。
自分を消せるほど、尽くしたいと思える相手がいるということ。そういう人が今いなくとも、自分を埋めてでも、成し遂げたい事があること。それらに振り回されながら生きていける人生はきっと幸福だ。
そういう前提のうえで、
ふと気づけば空っぽの日々を送っていることに、ある時ふと、穏やかな安定感と同時に、虚しさなのか、怖さなのか、憂鬱めいたものを感じる日が増えた。またとある日は、今までになかったような自分の行動がおこり、動揺した。
そして、気づいた、全身全霊を捧げてきたとも思える愛の対象に、いつの間にか私は、いつの間にかできた自分のぽっかりとあいた部分を埋めて欲しがっていることに。
純粋な愛情はいつの間にか、自分自身の依存の対象になりそうなところまできていた。依存は怖い。それがいなくなることを、心底恐れ、いなくならないように、相手に強要めいた対応をしてしまう。そしてそれが、やがて関係を壊してしまう。
自分の状態に気づいた、それがたまたま正月のことだったので、しいて掲げる新年の抱負は、自分のことに集中すること、だ。そうして、相手をもっと大事にしたいのだ。