朝のつぶやき 230409
おはようございます。今日も朝のつぶやきやっていきます。朝から自宅の大掃除が実施されました。昨日のイベントグッズの片付け、新しくとどいた掃除機のヘッドでゴミを吸いまくり、段ボールの山をぺたんこにしたり、晩酌パーティの後片付けなり、布団干したりなり、もう朝からお掃除マシーンとしてうごきまくった。そしてこの時間。今日は何も予定がない。良いこと。今日の日の出が日の入りになるまで自由な時間をすごそう。こういう時に何を楽しめるかが大事なのかなと思ったり思わなかったりラジバンダリ。え?古いって?そんなの関係ねぇ。あ、これも古いってか。。でも本当に関係ない。人の興奮ベクトルは人それぞれ。何が自分に刺さってきたのか、それは後になってでしか確認できません。なのでとにかく刺してみよう。そうすりゃ古傷はあとから気づくってもんよ。それが漢の勲章ならぬ人生の勲章になるのではないだろうか。そう、その積み重ねが表面に滲み出でてくるその人の深みなんだと思う。タトゥーもかっこいいかもしれないが、タトゥーと言葉で決められた表現のなかでしか成立しない、いわばおままごとなんじゃないかと思うのです。それは傷をつけるための傷であって、手段が目的になっているだけじゃないかと。そうじゃなくて、道すがらついてしまう傷を大事にしたいな、という話なんですよ。正解のある世界に浸っているのは何も楽しくないんですよ。何も誰も分かっていないから、わかろうとしていないから、気づいていないから、気づこうとしても、そこに労力をかけるか迷っている人が多いから、労力をかけるほどでもないと決めつけている人が多いから、だからそこに面白さがあるんですよ。命令される時点でそれは誰かの正解のために動くことになる。だから非常につまんないし、腹がたつ。だからやめないか?でももし人にお願いしたり命令したりするのであれば、相手が同意を発言できる余裕を持てるような言い方をしてはいかがかな。無意識に人は人を責めている。自分の発言にはしっかり責任を持とう。というか重責しかないのだから。あなたはあなたの言葉で人を傷つけていると自覚したことはあるか?もし無いと思うのであればそれはアホだ。脳死です。今一度省みるといいだろう。もちろん自分も然り。どうせなら美しい言葉を吐き切りたいものだ。美しいというフレームの中の言葉ではなく、求めている方向へ本気で進んでいるならば美しくなるものだと、そういうことだ。ここはまだ言語化を100%できているわけではない、だからこそもっと吐き続けて洗練させていくとしよう。ではいってらっしゃい!