あなたは母親を殺せるか?
今日は、大分ディープな話題を深掘って行こうと思う。というのも先日、かなり印象深い夢を見たので、それを忘れないうちに残しておきたかったのと、自分はいわゆる「普通」の人間なのか?みなさんに聞いてみたかったので、この記事を書くことにする。
これを読むことでみなさんの人生が良くなることは決してないと思うが、ある一人の人間の夢日記だと思って、だらだらしながら読んでほしい。
先日、こんな夢を見た。
自分が何をしでかしたのかは覚えてないが、何らかの理由で、母親に全てのゲームを捨てられたのだ。事前報告もなく。昔からゲーム好きで、色々なハードやソフトを楽しんでいた自分にとっては、その瞬間、血液が沸騰するような感覚になるほど、効果のある罰だった。宿題をしなかったのか、他人に迷惑をかけてしまったのか、ゲームを全て捨てられてしまうくらいなので、恐らくよほどのことをしたのだろう。すっからかんになった部屋を見て、一気に感情のゲージが上昇し、暴走したまま、母親を殴り殺してしまったのだ。あの、顔を押さえながら痛がる母親の姿は、かなりリアルだった・・・。こんなにも、起きた瞬間安堵した夢はあっただろうか。と胸を撫で下ろした反面、自分を肯定する気持ちもあった。
この夢を見て、自分の中で一つ疑問に思ったのは、果たしてどちらに「正義」はあったのだろうか?ということだ。
まず、そもそも自分が何をしでかしたのかを覚えていない時点で、この問いに決着はつかないのはわかっているが、例え何をしでかしていても、子供のゲームを勝手に全て捨てることはないんじゃないのか。それが教育の一環だとしても、先に手を出されたのはこちら側だ。何を正義ぶって、人の大切なものを蹂躙して悦に浸っているのか。罰として?制裁のため?そんな権利、この世のどこにあるんだ?こちらは先にやられたから、同じことをやり返しただけ。こちらをそういう風に「させた」のはそちらだ・・・というのが自分の主張だ。
法律に従えば、手を出した時点で負けだ。だが、もし法律がなかったとしたら?言ってしまえば、法律なんてものは、人間の際限ない感情を抑制させるために作られた、人々が互いに、幸せに暮らしていくためのルールにすぎない。破ろうと思えば、いつだって破れてしまう。自分の身なんてどうでもいいと思っている人間に対しては通用しないのだ。悲しいが、人間は簡単にそういう状態になってしまう。これは、自分がその瞬間、その状態に陥ったからわかる。全ての人間がそうだ!なんて極端な意見は持ってないが、人間の「心」にはある程度感情のゲージがあり、人により、上下する速度が違うんじゃないか、と思っている。ゲージが急激に上がってしまう、自分のようなタイプは「自分の身」より、「今のこの感情」を優先させてしまう。その瞬間、法律なんて機能しなくなる。これは完全に自分の意見だが、逆に言えば、そこで押し黙れる人間に「心」なんてあるのか?とも思う。
ここまで、ほとんど自分側の弁護になってしまっているが、みなさんとしてはどうだろうか?「何も殺さなくても…」「それはただ暴力に支配されているだけ」「踏みとどまれなかった方が悪い」など、それこそ人間の数だけ意見があるはずだ。ここで一つ、みなさんに聞いてみたいのが、今回の表題。もし…もしも、みなさんが僕と同じ、上記のような状況になったら、果たして「自分の母親を殺してしまえるのだろうか?」
こんな問い、ほとんどの人間がNOと言うんじゃないか。しかし実際、夢の中でではあるが、僕は母親を手にかけてしまった。僕が一番ひっかかっているのは、自分のした行動は正常なのか、異常なのか、ということ。どちらの気持ちも混在している状態で、ずっと答えが出ないのだ。
まず、思い切り自分のせいだが、もちろん母親が死んでしまったのは当たり前に悲しい。だが、自分が殺してしまったことには「なんの後悔もない」自分もいる。「だって、それほどのことをしたんだから殺されてもしょうがないよね」というような、かなり身勝手で暴虐だが、そこに自分の理論がある。つまり、僕という人間は、自分が自分を正当化できるような理論があれば、殺人を肯定する人間なのだ。
何故こんな問いをみなさんに投げかけたのか。それは、そんな自分が不安だったのかもしれない。自分は正しいのか間違っているのか?それを量るものがないこの世界だから、迷っている。多分、この「迷う」ことこそ、人間に生まれた使命、というか…うまく表現するのが難しいが、人間は答えが出ないからこそ、思考して学習して、よりよい方向へ歩いていける生物なんじゃないか?
なんて、ありきたりな結論に至ったところで今回は終わりにしておこう。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。
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