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大人になっても子どもといい関係でいるために、自分の価値観を見直そう

こんにちは。親バカ万歳ヽ(^o^)丿なるです。

 こどもが大人になった時、あなたは子どもとどのような関係でありたいですか?

目の前の事で一生懸命になって、まだ、こどもが小さすぎて想像できない、そんな、まだ先の事はわからないという声もあります。実際わたしも、3人の子どもを育てているのでよくわかります。

 しかし、子育ては大変な分、あっという間に月日は経ち子どもは育っていきます。

 そして、その間に積み重ねた子どもとの接し方が、子どもとの関係、そして子ども自身の人生に大きく影響を及ぼしています。

 わたしは、母に対して、生んでくれたこと、今まで大きな病気もせず、大きなケガもせず無事、結婚して、子どもも3人授かる事が出来たことに感謝も恩も感じています。でも、正直一緒にいるのが苦痛で会いたくないです。

 そして、母と別れて別の家庭を持つ実の父も、子ども達のゲーム依存、家庭内暴力に悩んでいるようです。

 わたし自身、自分の子どもに会いたくないと言われたら非常にショックですし、わたしがわたしの母に対してこのような気持ちを持つこと自体が苦痛と知っているので、子どもにも同じ感情を味わってほしくないと願っています。

 今日は毒親に育ち、毒親の家庭を客観的に見て、今子育てを学びながら実践中のわたしが、アドラー心理学の知識も織り交ぜて子どもとのかかわり方について話します。

 

子どもを無意識に自分より下の存在にしていませんか?

 ・子どもが言うことを聞かない
・子どもに任せておけず、心配ばかり
・子どもが失敗しないように先回りしてしまう。
・子どもについ、答えを教えてしまう

 こういった経験はありませんか?

 これはわたしたち親が代々引き継いできた
「親のいう事は絶対、子はそれに従うべき」
という価値観が根底にあるからなんです。

 そういった価値観から、ついつい子どもの話に耳を傾けることを忘れ、子どもに対して指示、命令、干渉をしてしまいがちになってしまいます。

 わたしの母も上記の価値観に加え、「親は子を心配し、親は子に感謝されるべき存在」という前提があったため、いろいろなことに干渉され、自分で考えたり経験して失敗することが少なく、大きくなるにつれ、自ら考え行動する力、社会性、金銭感覚、経済力、自己肯定感、自己防衛力が欠如していることが露呈し、かなり生きづらい人生を送ってきました。

 結果、親が子どもを下に見ることで、その子の価値を下げる価値観を与えて、制限させてしまうのです。

 親と子どもの間に上下関係はない

わたしは子育てをしている中で、よく子どもは自分の鏡だと思っています。自分がその子にとってどんなかかわり方をしてきたのか、その子の友達との関わり合いで見えるからです。

 そして時に、子どもが自分の至らないことを指摘してくれる時もあります。

良くないかかわり方、伝え方をしたときは癇癪や反抗といった反応で示してくれます。

そういう観点でみれば、子どもを育てていると、親も子どもに人間として育てられているんです。

 そして、子どもの力はすごいと日々思います。

昨日できなかったことが今日できてみたり、小さい子供だと、そこにいるだけで周囲を「かわいい!」と思わせてしまいます。
そして、体いっぱい体力いっぱいつかって力強く遊び、楽しむことができます。

こどもから学ぶことも多く、大人が出来ないことをこどもはやってのけてしまうことに尊敬もします。

 よって、親や子供、大人や子どもの間には上下関係って全くないし、子どもも大人と同様一人の人間として尊重され、存在価値があります。

 

こどもと親、こどもの対人関係をよくする親の態度とは

 こどもと良い関係でいるためには、子どもを一人の人間として尊重し、その子の未来を信頼し礼節をもって接することが大事です。
信頼は過去の実績や成果にかかわらず未来の行動、結果を信じ期待することです。

親は、「子どもが自らの力で幸せになることが出来る」と信頼し、期待するのです。
そこに、子どもが頼ったりしてきた時に必要な言葉かけやその子が望むことへ促してあげる。
介入はできないのです。

 母のしてくれたことは、結局は自分自身の心配不安の解消のためだった。

 わたしの母は過干渉型の毒親で、いつも不安だらけで他人の世間体を気にする母でした。

 今でも、「娘は不幸」「不憫」「哀れ」と言っては、わたしの意思や意向を聞くことなくあれこれ干渉し、「過去の失敗」「過去の自分」「過去の成果」や世間体、、他人の意見、自分の機嫌に振り回される一方、そこにわたしとの真の対話はありませんでした。

一時はそれで助けられたこともありますが、わたしの生きる力は伸びないどころか、情けなくなる一方。

 そして、感謝やお礼を執拗に求めてくるので今も関わることで苦しい思いをしています。

どんなに突き放しても、家に勝手に上がってくるほどです。

 わたしももう子どもがいるので母に頼る気もなければ、充分に幸せです。

 結局心配というものも不安だというのも、感じている本人の問題であり、不安や心配で子どもに相談なしに手を焼いたところで、それはただ単に自分自身の不安や心配の解消という自己満足にしかなっていないのです。

 

親子の間の真の対話はどうしたら生まれるか。

 それは、「この問題は誰の問題なのか?」と考える事です。

 勉強しないで最終的にだれが困るんですか?
片付け出来なくて最終的にだれが困るんですか?

何事もなければ先に死ぬのは親の方ですし、いつか子どもは独り立ちしなければ、いつまでも子どもの世話ばかりの人生になるでしょう。

勉強しない子供の将来が不安だから、勉強して欲しい。

片付けしていない部屋に子どもの友達や、自分の友達が来て、子どもの部屋が汚いと恥ずかしい。

自分の不安や恥、好き、嫌いといった感覚や価値観、感情をもって接するとそれが子どもに伝わり傷つけます。

それが子どもの反抗的な態度を引き起こし、子どもが依存的になり、親に責任を押し付けるようになりやがては自分の力で問題を解決する能力が伸ばせなくなり、親が忙しくなりますし、精神的に苦しくもなります。

 

親は子どもに何かできるのか?

 

では、親は何もできないのか、してはいけないのか。

いえ、違います。

親は、提案をすることが出来ます。最終的に決めるのは子どもに任せるのです。
つまり、押し付けはいけないけど話し合い、交渉をして折り合いをつければいいのです。

「わたしは」を主語にして自分の考えを提案し、そのやり方を受け入れるかどうかは自分て決めていいと選択権を与えることで子ども(相手)を尊重していることになります。

 子どもを「できない存在」として助けるのか
子どもを「自分で解決する力を持った一人の人間」として尊敬し、問題解決への答えを引き出してあげるか

この関わり方の違いが子どもの成長と子どもとの人間関係、そして子どもの世界の人間関係に大きく影響してくるのです。

親も未熟で当たり前。一緒に育っていければいい。

 かくいうわたしも、まだまだ、親から受けた毒が抜けきっていない状況で子育てしているため、上手くいかないことが多々ありますし、自分を責めてしまうことも、子どもにあたってしまうこともまだ人より多いかもしれません。

 ですが、そこで自分を責めるのではなく、事実を受け入れ、相手がいるのなら謝罪し、自分自身で許して次はどうするか、この問題は次どう成長するために起きたのかを考えるようにしています。

 失敗した子供を見る時、自らを責め立てている子どもの姿は見ていて苦しいものがあるでしょう。それは子どもから見ても同じこと。

 親から、「よし、次こうしよう!」と切り替えて挑戦し続けていく姿こそ、子どもに生きる希望や勇気を与えるのだと思います。

 

 

ここまで記事を読んでくださり有難うございます。

 

この記事があなたにとって、子育てや人生の一助となれば幸いです。

では。

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