猫は麻薬
幸せになりたかったら猫を飼えみたいなタイトルの本の広告(タイトル超うろ覚え)を見つけた。職場で猫好きのお姉さんに「幸せ?」と聞かれたので「幸せです!」と答えた。猫はすごい。
いや、客観的に見たら私はそんなに幸せではないことはわかっている。でも、そんなに苦痛に感じていないのは、いまの生活は自分が選んだ結果だと納得しているからだろう。
あと、猫は麻薬かもしれない。毎日かわいい猫と過ごしていたら、自分が独身恋人なしでも、前の職場に戻ったら収入激減するとか、そもそもいまの職場もどの程度いられるかわからないことも、なんとなく忘れている。
毎日、気付いたら一緒に寝ていて、私の腕の中で丸くなっている猫、朝起きたら飛び込んでくる猫の姿に「かわいいなあ」と声に出している。
毎朝の開口一番は「かわいいなあ」だ。ポジティブな言葉の力を日々感じている。かわいいは正義、至言!
迂闊に死ねない。迂闊に病めない。迂闊に仕事を辞められない。猫のために健康に生き、健全に生きざるを得ない。
猫のお陰で幸せだ。猫に「一緒にいてくれてありがとう」と伝える。猫はきっと理解してくれている。
ペットを飼うのはエゴなのか論争は尽きない。この間も、マツコデラックスやある女優さんが「猫を幸せにできる自信がないから飼わない」という言葉に賞賛が送られていた。
これ、私は犬ならわかるんだ。犬は散歩が必要だから、自堕落な私に毎日定期的に散歩の時間を取れるか自信がない。犬にとって、これは不幸だ。犬も好きだ。犬も飼いたい。でも自分には無理そうだ。
でも猫は。猫は散歩がいらない。むしろ完全室内飼いを求められる。大体寝ている。構えと鳴かれたら構い、おもむろに膝に上がったりベッドに上がってきたりしたら受け入れる。あとは私より早くやってくる死に覚悟すればいい。
猫は幸せかわからないけど、幸せでなかったらさっさと出て行くだろうと思っているので、大人しく家にいるということは、不幸せではないのだろう。そもそも人間の物差しで猫の幸せを計ることは傲慢ではなかろうか。
猫に尋ねても答えてはもらえない。一緒にいてくれる現実を答えとして受け入れるしかない。猫には一緒にいてもらっている。そこには感謝と愛しかない。それでいいじゃないか。
そういえば、昔飼っていたミドリガメは室内で飼っていたはずなのに、気付いたら水槽からいなくなった。田舎なので玄関開けっぱなしはよくある話で。
2匹飼っていて、1匹は甲羅の端に小さな穴を開けた。ストレスが溜まるとそうなるらしい。円形脱毛症みたいなものか。相方の甲羅に穴を空けた亀からいなくなった。
とうとうミドリガメは、輸入禁止の外来種扱いを受けているけど、みんな元いた場所に帰りたいのかもしれない。ミドリガメの「ふざけんなよコノヤロー」と、メンチ切っているような目が好きだった。
長兄が長年飼っていたクサガメも脱走して、近くの大通りで車に轢かれていたのを発見。捕獲して、いまも甲羅が割れたまま元気に生きている。
みんなどこに帰ろうとしていたんだろう。
…合法的なカメを飼いたくなってきた…。
カメでさえ、ここは私の暮らす場所ではないと逃げ出すのだから、猫だってきっと考えてここにいてくれているのではないだろうか。
猫を飼うのはエゴか。そうだよ、私のエゴだよ!と開き直るぐらいがいいんじゃない?って思っている。ウチの猫かわいい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?