私と音楽のはなし
街や生活には色々な音楽が溢れているけれど、
私の人生にもいつだって隣に音楽があった。
残念ながら、好きこそものの上手なれとは為らず、演者にはあまり向いていなかったけれど、それでも切り離せずにそこにずっとあった。
それは愛煙家にとっての煙草のような、無くても生きてはいけるけれど無意識に手に取っていて、空気の次に吸い続けていて、少し依存しているようなものだったと思う。
第一章 好きな音楽とその延長線
両親は家で音楽を流すような人たちではなかったけれど、どこから入手してきたのか、子ども部屋では兄がいつもミスチルやスピッツ、サザンオールスターズにポルノグラフティ、B'zなどが流れていた。
歌うのが好きでいつも部屋で歌っていたが、小学校低学年で兄に「お前は音痴だ」と指摘をされた。
「自分は歌がうまい」と思っていた当時の私には雷が落ちるような衝撃だったが、実際にはどうやら本当に音痴だったらしい。
どうやら、というのは音痴は音痴かどうかを判断する力が無いからである。そこから脱音痴の練習が始まった。
ピアノに1年だけ通った際に音階通りに声を出す練習をしたこともあり、音感は無いが、歌は一般人のそれには成長したと思っている。
ただ、左手と右手で別々の動きをするのができないのと、楽しいと思えなかったので練習を全然せず、たった1年でピアノは辞めてしまった。
小学校時代は、EXILEやYUI、オレンジレンジ、ゆず、コブクロ、スピッツ、倖田來未、アクアタイムズなどをよく聴いた。
早い段階でお下がりのMDプレイヤーを貰い、何処へでも持ち歩いていた。兄と一緒にMステは毎週欠かさず見ていたが、当時クラスで流行っていた曲は知らなかった。
高学年になると、クラスの女子の8割はKAT-TUNファンになり、ジャニーズの話ばかりしていたけれどジャニーズという言葉すら知らず、私はYUIばかり聴いていた。いじめにあった時期もずっとYUIの曲に支えられていた。
けど、卒業アルバムの好きな曲の欄には、「Lovers Again/EXILE」と書いてあった。なぜだろう。
中学にあがると曲の幅が広がったが、漫画研究部に入ったこともあり、アニソンとボカロの割合がとても増えた。only my railgunの練習をたくさんした。
ラルクが好きな友達がいて、当時私はハイドさんの声が苦手だったので、馴れるために寝てる間もひたすら聴いたりもした。声を理由に曲自体を切り捨ててしまうのは、音楽に対して真摯でないと思ったからである。
おかげで、気づいたらラルクが好きになった。声がダメで曲が聴けない、ということも殆どなくなった。
RADWIMPSやONE OK ROCK、SCANDALなどのロックバンドに出会い、聴き始めたのも中学生だった。
人並みにジャニーズにもはまり、HeySayJUMPというより山田涼介のソロ曲を聴きまくっているときに、自分が声フェチであると気づいたりもした。
嵐も好きになったけど、これもまた大野くんの声が好きだったからだった。ゆずの岩沢さんの声も好きで、一時期、岩沢さんのソロパート多めの曲を掘り出しては聴いてたりもしたなぁ。
中学2年生のときには、YUIみたいに弾き語りがしたくてアコースティックギターも始めたけれど、指が痛くて月に1、2回のペースでしか練習をしなかったので成長は著しく遅かった。
たどたどしく作詞作曲をしてみたりもしたが、このときに作った歌は今もたまに自分の中で流れたりするから不思議だ。
かろうじてギターをやっているのを理由に友人に軽音楽部に誘われ、高校から軽音楽部に入った。黒いレスポール(ヘッダーに写っているギター)に一目惚れして、キズモノを少し安く買って、謎に「Rachel」と名付けた。
後になり、音が好きだな〜と思うギターが大抵レスポールだと知り、レスポールを選んだのは運命だったのかな…と驚いた。
高校生ではバンドでやる曲や軽音楽部の仲間がやっている曲と、嵐ばかり聴いていたような気がする。
ただ軽音楽部では上達の遅さからコミットしきれず、バンドメンバーの足を引っ張ったりもした。誘われて入ったということもあり、どことなく演奏に対して受け身な自分と、「音痴だししょうがないじゃん」と投げやりな自分がいて、
好きなだけの延長線上。これこそまさに、下手の横好きなんだろうなと思う。
そんな中、たまに帰り道にタワレコに寄り、知らないアーティストの曲を試聴しまくるという楽しみも見つけた。
一時期、エドシーランの1stアルバムが日本に入ってきたくらいのタイミングでエドの声に惚れ込み、毎日のようにタワレコに行ってはエドを何周も聴いた。
エドの試聴コーナーがなくなったタイミングで、結局CDを購入した。
第二章 サークルモッシュ時代
大学生に上がっても、軽音サークルに入った。
軽音サークルの雰囲気は、私がこれまで見てきた世界より少し不良で、けれど音楽には真っすぐで、とてもキラキラした世界に見えた。ドキドキした。
先輩方のお陰で、これまで全く知らなかったロックバンドやメタルバンドの曲ともたくさん出会うことができた。
大学生になってライブ会場に足を運ぶ機会も増えた。
たまたまSNSでチケットを譲ってくれた人や、そのお仲間たちと仲良くなることが出来たからだ。ライブ仲間に会いに行くためにライブに行っていた時期もあった。
特に親しくなった友人に、フェスなどにも連れ回してもらって、どんどん新しい世界に出会っていった。
けれどその友人は、ある時急性なんとかという病気で突然帰らぬ人になってしまった。ライブに行くために残業したり、体力を顧みずにあちこちに遠征したりしていたせいかもしれない。それでライブにいけなくなったら、元も子もないじゃないか。
そこからはフェスなどにも1人で行く機会が増えた。
軽音サークルは本当に大好きだったが、私の耳コピができない、楽譜あってもコピーが遅い、にも関わらず音楽より学業優先といったスタイルは、音楽中心のサークルメンバーたちのレベル感とあわず、罪悪感や疎外感を抱くようになっていった。
当時片思いしていた先輩が卒業するまではサークルにしがみついていたものの、その先輩の卒業を機に、泣く泣くサークルをフェードアウトする形をとった。
サークルの人たちは今でもたまに夢に出てくるほどには本当に大好きだったから、進む道が違ったことがとても悔しい。
その後はライブ会場で知り合った友人とバンドを組み、1年ほどライブハウスでライブをするといった活動をした。多いときには週1でライブをしたし、スタジオにも頻繁に入った。
しかしそれも、私以外のメンバーはプロを目指していたこともあって、解散をした。
そこからは、私の生活で音楽が占める割合はだいぶ小さくなったように思う。あくまで生活のBGMへと成り下っていった。
といってもライブやフェスには、時々足を運んだ。
青空の下、ライブ会場でサークルモッシュする時間は、生きていて1番「幸せだ」と身に沁みる時間だった。本当に幸せで大好きな時間だった。
自分の部屋でたまに、アコースティックギターを弾きながら、うまくもない歌を歌うのは、私にとっては大切な「何かを吐き出す時間」だった。
大学時代は、ロック音楽たちが一斉に走ってきて、おしくらまんじゅうして去っていってしまったような時期だった。まるでサークルモッシュである。
第三章 拡がる音楽
社会人になって、映画「LALA LAND」や漫画「BLUE GIANT」に出会い、ジャズに興味を持った。
ジャズバーに行ってみたいな〜と思ってる矢先、コロナ禍に入り、ライブもフェスも中止になってしまったので、思い立ってジャズ喫茶に行ってみた。
野毛にあった「ジャズ喫茶ちぐさ」である。
そして、衝撃を受けた。
普段イヤホンで聴いてる音とは全く違い、音が生々しいのである。ライブに来たような高揚感さえ湧き上がり、永遠にこの音たちを聴いていたいと思えるような空間だった。
後で教えてもらったところによると、レコードは「人の耳では聴こえない音」も含めて録音するのと、デジタル音楽は音の粒の連続に対して、レコードで聴けるアナログ音楽は音の糸のようなものなのだそうだ。
だから、よりライブ感を感じるのだそう。
そこから、時々レコードバーやレコード喫茶を訪問するようになった。最初は「レコードといえばジャズなのだろう」という思い込みがあったが、イギリスのロックを流しているレコードバーに出会ったのを機に、ジャンル関係なく「レコードが聴ける店」に足を運ぶようになった。
そうすると、私の中の、音楽の幅が拡がり始めた。
これまでの人生では「ポップス」と「邦ロック」、時々「クラシック」あたりにしか触れる機会がなかったのだが、
黒人音楽であるソウルミュージックのレコードバーでいろはから教えて貰えたり、EDMのレコードバーなんてものにも出会ったり、ジャンル問わずレコードを流してくれるような店で南米の音楽に触れたりということもあった。
「私はロックが好きだと思ってたけど、それは出会った順番が早かったからだったんだな」と気付かされた。それくらい、どのジャンルも魅力のある曲がたくさんあった。
何度が足を運んでいる代々木上原のレコードバーのマスターは、「初めてのお客さんには必ずレコードを1枚選んでもらうようにしている」と言っている。
最初来店した際、詳しくないのでお任せでいいですと伝えると「昔はみんなジャケ買いだったから、当たったり外れたりしたけど、今は簡単に視聴できてしまう。それも良いけど、ジャケ買いで感性で選んでみるという経験も面白いと思うよ」と返ってきた。なるほど、そういう楽しみ方もあるのか。
納得しつつも少しめんどくさかったが、レコードを選ぶまで見逃してもらえなさそうだったためにいくつか選んでみた中に、今も頻繁に聴くくらい好きになった1枚がある。
マスターに言われたようにジャケットで選ばなければ、おそらく今も出会っていなかったと思うと、なんだか変な気持ちだ。
さて、興味を持てるようになると、自然と情報やご縁が入ってくるようになるもので、ジャンルに囚われない音楽たちのフェスに巡りあえたり、素敵な出会いがたくさんあった。
こんなフェスたちは、音楽の楽しさだけじゃなくて、表現としても生き方としても、もっと自由で良いしそれぞれの形で良いんだっていうのを提示してくれるようだった。なんだか救われたような、ホッと自分のベッドの中にいるような安心感を与えてくれた。
無意識に、誰かのモノサシで音楽も測っていて、例えば「なにが好き」「普段どんな曲を聴く」というの質問にも相手にとっての正解を探してたんだよね。
とにかくそんな感じで、今はジャンル問わず色んな音楽に出会うようにしているし、出会いたいと強く望んでいる。
全身で音を浴びたり、時にはお酒を嗜みながら静かに飲んだり、相変わらずフェスではモッシュしたり、ストリートライブにはなるべく足を止めたり、ジャンルとか誰かの正解とか関係なく音楽のすべてを楽しんでいけたらな〜と思う。
最近は、たまたまフラメンコギターを演奏される方とも出会う機会があり、聴くのも弾くのもとても楽しそうだから挑戦したいなと思ったりしてる。…楽器のセンスは全然ないんだけどね。
これからもどんどん、音楽の世界を拡げていきたいな。
おわり。
p.s.ここまで読んでくれた人は、ぜひコメント欄におすすめの音楽を残していってくれると嬉しいです!
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