カウンセリング・トレーニング(1)
カウンセリング・トレーニングコース受講スタート
昨日は、ナラティヴ実践協働研究センターのオンライン講座「カウンセリング・トレーニングコース」(社会構成主義時代のナラティブ・アプローチをベースとしたカウンセリングを学ぶ)の第2回目の受講でした。
この講座は、モジュール1~6まであり、1モジュールが10のセッションで構成されていて、3年間で60セッション、毎週火曜日の19時~21時30分、Zoomで学ぶものです。
オタワ大学教授David Pare (デイヴィッド・パレ)著作の「『コラボレイティヴ・カウンセリング&サイコセラピーの実践:文化的にマインドフルな支援技術の発展』(仮題) 出版予定:2021年初旬」を教科書として、
傾聴や共感だけに留まらない、カウンセリングにおける会話について学ぶもので、カウンセリング関係の資格を取得するものではなく、真にカウンセリング実践の向上に取り組みたい人向けのコースということです。
何故、受講しようと思ったのか
私が真にカウンセリングの実践向上に取り組みたい人かどうかは別として、「ナラティヴ・セラピー」に出会ったとき、私が、女性としての「生き難ささ」をもがいて生きている人生は、「ナラティヴ・セラピー」でいうところの人生の「再著述」、つまり「ドミナント・ストーリー」から「オルタナティヴ・ストーリー」を生きている人生ではないかと勝手に理解していて、「ナラティヴ・セラピー」に、惹かれるものがある。ということで今回の受講を決心しました。
しかし、受講を申し込んでからも、3年60回という回数と今の私にとって必要な学びなのかどうかという迷いの中でゆれていました。
その迷いを振り切って受講に至ったのは、①私の親しいキャリアコンサルト仲間が一緒に受講すること。彼女たちと共通の話題を持ちたいという思いがありました。
そして②この講座を学ぶことの意味について考え、そしてその意味が変わったからです。うまく説明できませんが、この講座に限らず、報酬を得る人生が残り少ない今の私にとって、学ぶことをお金の交換価値として考えるとほとんど意味がないように思います。
しかし、報酬を得る得ないにかかわらず、私が、これまでの人生を、これからの人生を何のために生きていこうとしているのかを、再度自分自身の中に問いかけたとき、この講座を受講することをけっしんしました。
私は、私を含めた女性たちに、少しでも自分らしさを大切に、のびやかに生きてほしいと願っている。そのための学びである。
3年間60回の学びを言語化することが、この講座について、より学びにつながるのではないかとnoteを書いてみようと思いました。
そして、また、3年間60回の学びの過程で揺れた時、今の気持ちに戻ってこようと思っています。