ドミナント・ストーリー(優勢的・支配的な物語)はこのようにして作られます
4年ほど前から「ナラティブ・セラピー」を学び始めました。
ナラティブ・セラピーのベースには、「問題が問題であり」「その人が問題ではない」という考え方があります。
ナラティヴ・セラピーは、社会構成主義の理論を背景とするセラピーです。マイケル・ホワイトとデイビッド・エプストンによって、形作られていったセラピーの手法です。
学び始めると、まず出会う言葉として、ドミナント・ストーリーとオルタナティヴ・ストーリーがあります。
◆ドミナント・ストーリーとは
その人が思い込んでいる「優勢的・支配的な物語」のことで、必ずしも思い悩んでいる悪い物語のことだけを言うわけではありません。
例えば、「よいドライバー」というストーリーがあるのは、車を運転する時にその人に起こったいくつかの出来事を特定の順番につなぎ、よいドライバーの証拠として解釈するからです。(✖は出来事)
そして、「よいドライバー」の物語が作られるには、他の人からの「よいドライバー」の評価が影響を与えます。
その人が、自分自身のことを「よいドライバー」と思っていても、他の人からの評価が「世間知らず」とか「うぬぼれ」とか等であれば、その人は「よいドライバー」のドミナント・ストーリーをつくることは難しいと思います。
なんとなく、ドミナント・ストーリーがどのようなものかわかっていただけたでしょうか?
一般的にはドミナント・ストーリーは、思い悩んでいる悪い物語の場合が多いです。
ドミナント・ストーリーで拾われなかった出来事をつないで、新たな「オルタナティヴ・ストーリー」を作られる可能性をもっています。
◆私のドミナント・ストーリー
私は、古い家父長制的な家族観が残る農村地域で生まれ、育だちました。
女性というだけで、男性より下に見られ、扱われ、どうせ将来は、結婚する存在としてみなされていました。
女の子だから家事を手伝うようにと求められながら、一方では、成績は優秀であることを求められ、学校の成績が悪いと叱られるという、親のアンビバレントな価値観に振り回された子供時代。
そして、近所の友だちからは浮いた存在で、親しい友達がいなかった等の思い悩んだストーリーを思い浮んできます。
夢や希望に向かって生きる存在ではありませんでした。
しかし、そこには拾われなかった出来事があります。
・母親が手作りの服を作ってくれたこと
・気を配って作られた食事のこと
・父親が夏休みに、植物採集に連れて行ってくれたこと
(「らんまん」のモデルの牧野富太郎さんを知っていました)
・つつましい生活でしたが、ピアノを習わせてくれたこと
・季節ごとに遊びに連れて行ってくれたこと等
ここからは、私の勝手な解釈です。
「ドミナント・ストーリー」には、問題のしみ込んだストーリーが、多いのかというと
子どもの存在をそのまま認めるというのではなく、
「社会一般の価値観」に沿うように、子どもを怒ったり、ほめたりして、コントロールして育てようとするからではないかと思います。
今振り返れば、私の子育ても「悪い思い悩む問題とされるドミナント・ストーリー」を作ってしまったのではないかと思っています。