年越しはいつだってぬるい温度で
1年が終わった。
振り返ってみても、何を思い出すべきかは分からない。僕は果たして、何をしただろう?
2023年。
なんとなく迎えた1年は、やはりなんとなく終わりを迎えた。去年と違うのは、年越しの瞬間にジャンプをしたことくらい。2023年最後の日、僕はよく分からない場所で、よく分からない人たちと飛び跳ねた。よく分からない寺で、よく分からない列に並び、よく分からないままに、よく分からない相手に祈った。瞬間、もっと考えてから祈ればよかった、と後悔する。ふわふわした願いだけを頭に浮かべてから、なんとなく祈りを終える。横には満足げな顔が見えて、ちょっと悔しかった。あまりにも働いていない脳みそのまま、日の出を見るためにミニバンを走らせる。目的地は海岸にセットして。
2024年。僕は生まれて初めて煙草を吸った。
前から気になっていた世界への一歩目を、新年の初日から踏み出せたことがうれしかった。久々に会った友人は、僕の煙草への関心に快く応じてくれた。Peaceと書かれた箱から取り出されたその一本を、吸い方を教わりながら口に咥える。ライターを付けるのが思ったよりも難しくて、ちょっと苦戦した。初めて吸った煙草は、よく分からない味がした。美味しいのか不味いのか、それすらも分からなかった。けれど確かに、それは新たな世界への第一歩であり、かけがえのない瞬間であった。
気づいたら僕は、知らない子と3人で吸っていた。
初めて会ったその子は、まるで初めて会った感じがしなかった。2人の空間は瞬く間に3人のものへと変容し、僕はその場で、初めての煙草とライターを買うことにした。
冷たい空気を肌で感じながら、3人でなんとなく煙草を吸った。初めて開けた自分の煙草を2人と交換した時、僕はこの瞬間のためだけに生きてきたんじゃないか、と思った。月並みな表現だけれど、僕はこの時間を過ごすためなら、何だって出来る気がした。そういう時間だった。味とかはよく分からない。けれどもう、よく分からなくたっていいのだ。年越しで飛び跳ねた瞬間も、初めて短歌を詠んだ時も、完璧な一節に出会った時も、結局よく分からなかった。けれどきっと、その分からなさこそが、これまでの僕の感動を支えてきたのだと思う。
なんとなく灰を落としながら、新年を迎えた夜空を見上げる。星座には詳しくなくても、この空には感動できた。分からないことがこんなにも愛おしかったのは初めてだ。ぬるくなったお汁粉を飲みながら、これから始まる一年へと思いを馳せる。
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