瓜田

詩と散文/じぶんの言葉をめぐって

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最近の記事

疾風怒濤・ブックリスト

読書の秋 読書の秋がきました。 本読んでますか~ 自分はぼちぼち本が好きで、いつかブックリストを作ってみたいなと思っていたところだったのですね、なので今回は、読書の秋という口実を利用して、自信をもっておすすめできる本たちを紹介していきたいなと思ってます。 紹介する前に さっきも言った通り、まあ読書が、というか活字に触れることがとても好きなんですが、自分としては、「読書はいいことだ」みたいな押しつけだけは、ぜったいに、したくないと思ってます。だって、読書のほかにも素敵なも

    • くろこた「瓜田『さみしさは強烈に機能する』における『非合理』について」への応答

      * ある夜、僕のもとに愛に溢れた挑戦状が届いた。 僕の語る「非合理」に対する挑戦だった。これを書いた友人の彼にはしかし、そのような攻撃的な意図は無かったであろう。けれど僕は、これをある種の異議として、あるいは挑戦としてみなしてしまった。そこで、ここでは僕の中の「非合理」を滔々と書いてみようと思う。 * まずは前提として、僕の中の一貫した態度を説明しておきたい。 それは、僕は限りなくひとりのエッセイストであって、哲学者ではないという点である。正直、この点に僕のすべての主張

      • さみしさは強烈に機能する

        * 喜怒哀楽のなかに「さみしい」が含まれていないことが不思議だった。僕たちの非合理のすべては、元を辿ればさみしさにあるのだと思っていたからだ。 夜中にあいつに電話をかけるとき、天気がわるいだけで学校を休もうとするとき、深夜5時に文章を書き始めるとき、そこにあるのは僕のさみしさであって、理性ではなかった。 夜中に電話をかけるのは迷惑だし、天気がわるくても学校は行くべきだし、深夜5時まで起きるのは不健康だ。そんなのは考えれば誰だってわかる。でも、理性を司る僕たちでさえ、とき

        • ぼくの合理はきみの非合理

          * ぼくにとっての「だから」は、きみにとっての「だから」に必ずしもなり得ない。ぼくにとっての合理はきみにとってなんの理由にもならなくて、だからぼくたちは皆違っていて、たまにぶつかったりもする。でもその衝突の中でこそ、ぼくときみが違うことが明らかになるのであって、その光にこそ、ぼくたちが生まれてきた意味はあるのかもしれない。 だからいまは、きみのいう「だから」が聞きたい。その囁きに、ぼくは耳を澄ませたい。きみの分からなさに溺れるように、ぼくはぼくの分からなさを歌おう。 *

        疾風怒濤・ブックリスト

          早朝は夜明けと違っていて

          * 半年ぶりに、自転車の空気を入れた。 本来ならば月1くらいのペースで空気を入れる必要があるのだが、僕にはそれが出来ないでいた。 時間が無かったから、というわけではない。 むしろ僕には有り余るほどの時間があって、空気のひとつくらいは簡単に入れられていたはずだった。 なのに、それが出来ないでいた。 * しばらくの間、本が読めていない。 前までは持ち歩いていた文庫本も、今ではインテリアと化してしまっている。 何かあったから、というわけではない。 ただ慢性的に、文学への愛

          早朝は夜明けと違っていて

          五感と記憶の交錯

          * 五感は、僕たちの記憶を呼び覚ます。 聴覚は、嗅覚は、味覚は、僕の奥底に眠る記憶の輪郭を露わにし、ある種のノスタルジーを喚起する。 羊文学の「our hope」を聴くと、僕は決まって三鷹あたりを歩いていた時のことを思い出す。SONYのヘッドフォンを誇らしげに被って、大学帰りに商店街を歩いていた頃の記憶。ずいぶん昔のことのようにも感じるし、比較的最近のことのようにも感じる。掴んだはずの記憶の遠近感は、彼女たちの歌声の中でぼやけていく。 羊文学。「our hope」。三

          五感と記憶の交錯

          海辺の街で

          海の家・田んぼ・民宿・純喫茶 不可逆性と共に生きること 海空の境界線が消えるとき 歴史がぼくを呼び覚ますとき ハロームーン 白波寄せる深淵はすべての声を吸い込んで光る 《ラ・メール》が女性名詞と知った夜 涙は潮の匂いを纏って Fall in love 体育座りで見た花火 終わりかけた夏を再生 押し寄せる砂の流れは白鯨のように砂漠を揺蕩っている ゆらめいて光の海をよるべなく 夜だけが知るリトル・マーメイド

          海辺の街で

          【短編】聖なる獅子殺し#0

          ◼︎プロローグ もし、人生で1度だけ法を犯すことができるとしたら、あなたは何をするだろうかー 2050年、日本。とめどない航空技術の発展と開発国間の紛争の影響で、国内は外国人移住者で溢れかえっていた。安全を求めて日本に亡命してきた彼らはしかし、国内の治安を悪化させる一方であった。メディアでは凄惨な事件が連日報道された。仮想空間での麻薬の密売や違法化されたはずの煙草の流通、そして高度なデジタル技術による殺人。Apple社を皮切りに始まったデジタル革命は、今日において、暴力的

          【短編】聖なる獅子殺し#0

          パスタは茹で上がり、怠惰は加速する

          * 午後4時に起きて、洗濯機を回す。 夕暮れ時に回される洗濯機はどんな気持ちなのだろう。RHT-045WCと名付けられたそれは、激しい振動でもって、その苛立ちを表現しているように見える。 * 洗濯機が踊り狂う47分間、僕は今まで放置していた家事をすることにした。まず手始めに、僕は排水口を掃除して、いまにも溢れそうなアメリカ製の灰皿をぴかぴかにした。溜まっていたゴミ袋を新しいものに取り替え、掃除機をかけると、何となく心地よい感じがした。しかしそれでも洗濯は終わらないようで

          パスタは茹で上がり、怠惰は加速する

          わたしとあなたと彼と彼女と

          僕にはずっと、わからないことがある。 それは、他者とは本当に存在しているのだろうか、ということである。あまりにも人間で溢れた社会の中で、僕たちは毎日、数え切れないくらいの他者と関わっている。街を歩くとき、電車に乗るとき、バイトをしているとき、僕のことなんてさっぱり知らない彼らは、何食わぬ顔をして歩き、食事をし、言葉を発する。僕にはこの事実が、どうしようもなく恐ろしく思えてしまうことがある。というのも、これだけ多くのことを考え、数え切れないほど多くの生き物の命をいただき、信じら

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          ずっと真面目ぶっている

          僕は最近までずっと、いや、今もかもしれないけれど、ずっと、ずっと真面目ぶって生きてきた。 お酒は20歳までただの一滴も飲まなかったし、学校をサボったこともなかったし、親が決めた門限をずっと守ってきたし、倒れた自転車は時間があれば元の位置に戻したりしていた。 真面目アピールをすることが生きがいみたいになっていた時期もあった。「20歳になるまでお酒は飲まない」というスタンスで飲み会を断るたびに、半ば優越感さえ感じていた。本を読み始めたのも、周りに真面目だと思われたかっただけだっ

          ずっと真面目ぶっている

          センスの暴力性

          好きなものを好きだと言うことは難しい。 だから、堂々と何かを好きだと言える人を心から尊敬している。 僕たちが何かを好きだと言うとき、そこには常に他者の目線がまとわりつく。好きな音楽を聞かれた時、アイドルグループの推しを答える時、無数の他者が僕の解答を評価してくるような気がして、身体がこわばる。「センス」という評価基準は、いつからか僕たちの好き嫌いにまで干渉してくるようになっていたみたいだ。 個人に許されていたはずの選択の自由は、世間によって作り出された画一的な基準によって

          センスの暴力性

          哲学は死に、将軍はヤギとなる

          ※この文章は映画「哀れなるものたち」を鑑賞後に書いたものです。 文学や哲学の世界に潜り込む時、僕はいつも、とんでもないくらいにわくわくする。だからこれまで、書店は僕にとって夢の世界でしか無かった。 きちんと並べられた背表紙は、僕に知的なハニー・トラップを絶え間なく仕掛け、考え抜かれた初めの一節は、僕を未知なる世界へと誘い、退屈な日常では味わえない興奮をもたらしてくれる。だから僕は、いつしかドラッグみたいに本を読むようになっていた。 何かのきっかけで心を病んだ時、疲れが溜

          哲学は死に、将軍はヤギとなる

          未知のヴェールは恋をもたらす

          電車で隣に座る女の子にどきどきする。 名前も年齢も出身も家族構成も知らないあの子に、必要以上に心が揺り動かされる。 僕が知っているのは、彼女が白いニット帽を被るような女の子であるという情報だけ。 どこから来たのだろう。 どこへ行くのだろう。 偶然同じ電車に乗り合わせたその奇跡と、彼女の未知性にくらくらする。 どんな顔をしているかはよく分からない。隣に座っているし。けれど確かに、適度に距離を保った彼女の肩は、僕をどきどきさせてみせる。 どんな声をしているのだろう。それも分か

          未知のヴェールは恋をもたらす

          年越しはいつだってぬるい温度で

          1年が終わった。 振り返ってみても、何を思い出すべきかは分からない。僕は果たして、何をしただろう? 2023年。 なんとなく迎えた1年は、やはりなんとなく終わりを迎えた。去年と違うのは、年越しの瞬間にジャンプをしたことくらい。2023年最後の日、僕はよく分からない場所で、よく分からない人たちと飛び跳ねた。よく分からない寺で、よく分からない列に並び、よく分からないままに、よく分からない相手に祈った。瞬間、もっと考えてから祈ればよかった、と後悔する。ふわふわした願いだけを頭に浮

          年越しはいつだってぬるい温度で

          ヘッドフォン付けてたら何聴いてるのって聞いてほしいし、本読んでたら何読んでるのって聞いて欲しい

          めんどくさい人間代表のぼくの中には、常に自分を見て欲しいという気持ちがある。これはもちろん、ぼくが見て欲しい時にだけ見てほしいという気持ちであって、ぼくが見て欲しくないような瞬間は絶対に見られたくないという気持ち。だからBeRealは苦手。見られたくない瞬間にまでRealでなんていられない。都合良いかな?文の中くらいは許してほしい。誰も傷つけてないはずだし。 そう、ぼくは自己顕示欲が強いのだ。たぶん。いやぜったい。心なしか、その自己顕示欲に比例してぼくのヘッドフォンはめちゃ

          ヘッドフォン付けてたら何聴いてるのって聞いてほしいし、本読んでたら何読んでるのって聞いて欲しい