”大丈夫”は体の危険信号
まだまだ私は自分のことを全く知らないと思った2020年8月28日(金)
※また書いている現在も母親は何も知りません
1995年25歳関西出身の私は一般家庭に生まれ、
成功とは言えないけど人がそれほどに納得するような生き方をしてきた。
母親一人で育てて来てくれ
何一つ文句も言わず反抗期さえも一切なく
ただ親を楽にしてあげたい
早くに恩返しをしたい
そのような気持ちで一生懸命頑張って来た25年間
何か挑戦をしたいと母親にいうと”NO”とは一切言わず、
全て挑戦させてくれたので本当に感謝しかない
その結果数々の誰もしたことのない経験をたくさんすることができた
(その経験はまた一つ一つ紹介します)
さて書いている現在引き続き3月活発なコロナの影響で会社も在宅ワークを推奨
3月の中旬から出勤はほとんどせず、ただ仕事上更に忙しくなり、朝・昼を食べない生活を約4ヶ月ほどしてきました
(休日や祝日は食べておりました)
友達とも普通にあそび、彼女(もちろん私に彼女がいることは親は知らない・・・)とも自粛のなか料理をしたり、家でふざけながら生活すること早6ヶ月が過ぎ充実した生活だと思ってました。
そんな中起こったある出来事
それが・・・・・
適応障害
ストレスが原因とのことでしたが、正直私は良くわかりませんでした。
普通に生活をしているし
友達、彼女、家族ともうまくやっている
また仕事も大手のITと給料もそんなに悪くない
・・・・・
ただ思い当たる要因がただ一つありました。
それは
入社、配属してから(2018年1月から配属)きちんとした休みをとれていなかたったこと
特に2020年3月からは営業に配属となり、そこから9月まで休みはなく、土日も仕事で(もちろん給料は出ません)、休めたと思ったら電話が鳴り休みなんかとれるはずもなく、さらに有給休暇(=残念仕事)を取っても休みではありませんでした。
一部の人は、登山途中、葬式の際に仕事をしていたくらいです。
しかし、私の体の異変には全く気づかずそこから数ヶ月がたち8月28日(金)、その日が来た
心臓が痛く、
朝がとても辛い状況で、
食欲も全くない状況になり、
その日は有給を取るも仕事の連絡が来て結局出勤みたいになる
流石にやばいと後輩(この子も精神がだいぶしんどかったみたい)が精神科医を紹介してくれすぐに行った
もちろんそんなとこに行ったこともなく、むしろ周りの友達は私がとても楽観的で、いつも明るい性格なので予想もしなかっただろう。
行ってみると診断結果は適応障害、さらにはかなり大丈夫と言われたくらいクマができていたほどらしい・・・・
帰宅後は本部長にその内容を話、その日は完全に休みをとることに・・
(しかし、先方、周りの同僚は知らないので連絡が溜まる一方)
帰宅後は何をしていたのか記憶がなく、気づけば午前0時を過ぎていた
その時大学からの親友達は滅多にしないゲームでしたが、唯一ハマったゲームPUPG(携帯ゲーム)をしていた
まだ起きていたのでLINEグループに電話を入れ、特に話すこともなかったが、集まってくれた
話そうとしても私は声が出ず、自然に涙がこぼれ落ち初めて親友たちの前で号泣をしていたのだ
そこで初めて気づいた、そして親友たちに気付かされたことがあった
それが
”大丈夫”は体の危険信号
いつも明るく振舞っていた私
旅行中はもちろん業務PCを持って行き、取引先といつも電話をしてた私
彼女の前でも常に電話がなり対応していた私
連絡が絶えなかったので常に携帯をみる習慣がついた私
そのような中でもみんなに”大丈夫こんなんもう慣れたし、むしろこのくらい厳しくないとなっ”と言っていたことが、いや言い聞かしていたのかもしれない
今まで自分のことは自分が一番知っていたと思っていたが実際は何も知らなかったし、自分の限界は常に突破してナンボや!というマインドを持っていた私にとってそれは衝撃で何も言えなかった
親に負担をかけまいと何も言えず自分で転職活動をしている自分
↑これも間違った選択肢なんだと思うけど、一人親に心配をかけてはダメだと就職先が決まってから関西に一旦帰ろうと思います。
嬉しいことに、転職活動は順調に進んでいるので、見つからないという不安からのストレスはない
しかし、周りの人が働いている平日の中、自分が「成長」、「スキル」から取り残されているのではないかと不安になるのでいろんなことに日々挑戦し現在は転職活動+自分の成長のためinputをしております。
最後に、就職のため上京、親元を離れ仕事をしている私たちは頑張っています。
そして親がどんなに偉大で、尊敬できるか今になってわかります。
ありがとう!!
TO BE CONTINUED
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