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常識と非常識のはざま

『常識と非常識のはざま』
今朝、そんな言葉が
浮かんできたので
書いてみることにしました。

常識と非常識のはざまって
どこにあると思いますか?

私TAKAHIROは
教育ママだった母親に
常識に従って、
人に迷惑をかけないように
生きることが大切であることを
躾けられて育ってきました。

常識を生きるということ

そう、私は現在50歳
第二次ベビーブーム世代なので

両親は第一次ベビーブーム世代です。

常識を守って、
協調して生きていくことが
世渡りしていく術であるような
世代なんだと思います。

出る杭は打たれる

とあるように、
常識から逸脱すると
叩かれるような雰囲気。

私にはそれが耐え難かった。。。

それが生きづらさを
つくっているとも言えました。

常識といわれていることについて

・どうしてそれが当たり前なんだろう?
・その常識は本当のことなのだろうか
・違う考えを持つことはいけないことなのか?
・みんなは同じように本当に思っているのだろうか

…などなど
こどもの頃から、
ず~~~~っと疑問を抱いて
生きてきました。

常識って何だろう???

その持ち続けている問い
に対する答えはなかなか
みつからなかった。

母に聞いても
そういうものだ、
それは当たり前だよね、
それがいいことだから、

こんな答えしかこなくて、
納得のいくものではなかった。

大人になって、
様々な経験をして
視野が広くなってきたときに
いろんなことが見えてきました。

常識は固定化されたものではない


日本の常識は海外での非常識だった
みたいなことってよくあります。

海外のいろんなところにいくと、
それを感じることがありましたし、
私は北海道在住なので、
海外じゃなくても、北海道外の
さまざまな地域のなかで、
常識とされていることが
違ったりしますよね。

インドに行ったことが
ありますが、
インドはとてもわかりやすい。

ご飯は手で食べるし、
お尻も手で拭く。
これって日本では非常識なこと。
汚い、お行儀が悪いと
言われるようなことですね。

訪れたときの
カルチャーショックは
大きいですよね。

ある国では、
奥さんが複数いることが常識。

今の日本でそれをやると、
不倫・愛人と叩かれる(笑)

また、
時代背景によっても
常識とされることが変わる。

縄文時代は
所有の概念がないと
いわれていて、

食べ物や土地は
誰かの所有という考えはなく、
みんなで分かち合うという
常識ですね。

はざまを見るより大事なこと


そう考えると、
何が常識で、何が非常識なのか

そのはざまって、
所属するコミュニティや
時代によって全然違ってくる。

そこに囚われると
真実が見えなくなるなって
思うのです。

今の時代、
これが常識、これが正しい
って多くの人が思っていることは

実は真実ではなかった、
間違えていたなんてことも。

むしろ、
物事の真実は常識の反対側にある
ことの方が多いと感じます。

だから私はいつも
常識を疑え!
っていうことを思っています。

私は常識に
フォーカスしていたときは
とても生きづらさを感じていましたが、

真実にフォーカスするように
なってからは、
とても楽に生きられるように
なりました。

人はひとりでは
生きられないから
周りの人たちと合わせて
協調して生きることも必要。

時に、
常識(と言われていること)に
合わせて対応することも必要。

でも、
自分のなかの真実や
大事に思っていることまで
周りに合わせる必要はない。

出すぎた杭は打たれない

いい意味で、
自分のなかの真実に沿って
わが道を生きられること

そしてそれが
分かり合えるような
関係性が築いていける
世の中になっていって
欲しいと願っています。

みんな違って、みんないい

これこそが、
私がライフコーチングを通して
実現していきたい社会です。

浮かんだフレーズから
こんな着地点になるとは
思っていませんでしたが、

長文お読みいただき
ありがとうございました!

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