大寒波と赤いダッフルコート
ウチの柴犬(もうすぐ2歳)はコタツが大好きで、一日中コタツにもぐり込んでいる。コタツで丸くなるのは猫だけだと思っていたが、違うみたいだ。
不思議なのだけど、顔だけ突っ込んでいることが多い。こんなふうに、頭隠して尻隠さず状態でヘソ天している。かわいいなあ。
先日、「最強寒波がやってくる」とテレビやラジオのニュースに煽られて、ちょっとびくびくしながら外へ出てみると、お昼前には雨上がりの蒸し暑さすら感じた。
近所の小さな江ノ電の駅では、日向ぼっこができるほどの気温。分厚いダウンコートなんか着なくてもよかったな、と少し後悔した。
それでふと思い出したことがある。
若いころに着ていた、赤いダッフルコートだ。
花園ラグビー場へ行った年末
高校生の時、なぜか私の高校のラグビー部は強くて、トントン拍子で花園ラグビー場へ行くことになった。
確か年末ごろ、同級生を応援するためにバスが出ることになって、修学旅行でもない時期にみんなで遠出するのか嬉しくて、さあ制服の上には何を羽織るかという話で盛り上がった。
指定のコートでは薄いと判断されたのか、その時だけは、好きなコートを着て良いというおふれが出たのだ。
私は喫茶店でのバイト代、3万円を握りしめて友達といそいそ街へ向かった。
かれこれ30年以上前のことだが、当時、世はDCブランドからセレクトショップブームへと移行しているころで、まだまだ洋服は高価なものだった。一万円を出してもトレーナーすら買えなかった。もちろん、安い服屋はたくさんあった。だけど私は、なんとか予算内で何かしら納得できるブランドもののコートが手に入らないものかと、目を皿にして街を歩き回った。派手ではなかったけれど、ファッションが大好きなオリーブ少女だったのだ。
そして私は奇跡的に、赤いダッフルコートに巡り合った。ニコルクラブという、ニコルのセカンドブランドのもので、セール時期でもないのにそれは半額以下になっていたのだ。
ホクホク気分でそのコートを買い、花園へ着ていった。
試合は一回戦で敗退だったが、私はお気に入りのコートを着て同級生と遠出ができただけで満足だった。クラスのファッションリーダー的存在の女の子が「コートいいじゃん」と言ってくれたのも嬉しかった。
ショッピングモールでの鍋は警備員に止められる
関西の大学へ進学した私は、そのコートを持って一人暮らしをした。2回生の頃だったか、当時神戸にできたばかりのモザイクというショッピングモールの波止場で、なぜか鍋をやろうということになった。12月とか、1月とか、そんな感じで、寒い夜だった。
屋外鍋を企画した男友達が、厚着をしてくるように、とみんなに伝えた。
と、思う。どうやって伝えていたんだっけ。電話だったかな。まだメールなんてなかった。
私は赤いダッフルコートの下に、ありったけの防寒をして、屋外鍋パーティーへ向かった。初対面の友達とトイレへ行き、コートなどを脱いでいたら、「ものすごく太ってる子かと思ってた」と笑われた。
あの頃、便利なヒートテックなんかもなかったし、いったい私は、何を着込んでいっただろうか。コートのことは覚えているが、その中はほとんど思い出せない。セーターを二、三枚、重ねていただろうか。
商業施設での屋外鍋は、すぐに警備員に止められてしまった。スポーツワゴンで来た友達が駐車場でトランクを開けてくれて、そこにカセットコンロをおいて、鍋を煮て、みんなで立ち食いをした。
赤いダッフルコートを着たのは、その年が最後だったと思う。
もっと大人っぽい格好に憧れて、私はそのコートを手放したのだった。
人は人生のうち、何枚コートを買うだろう。
高価だし、毎年買い換えるものではないから、一つひとつ割と記憶に残りやすい。
赤いダッフルコートは、その中でも一番印象的な一枚だった。