望む未来は「誰からも頼まれていない仕事」でつくられる
ライター歴20年のほぉーりーです、こんばんは。
上司やクライアントから頼まれた仕事を夢中で取り組むと、確かにスキルは上がるし、そこから認められてチャンスが広がることもあります。
ただ、頼まれるということは、そこに頼む側の要望や意図や思惑があるわけで・・・。
相手のニーズに合わないものを出せば、「おいおい、ズレてまっせ」となって、会社なら評価が下がるし、フリーランスなら次から仕事が来なくなることもあります。
それだけに、依頼される仕事に対しては、しっかりと相手のニーズを汲んで取り組む。さらに相手の期待を上回るものを出すために、自分なりにアイデアを提案したり、表現を工夫したりする。それによって、自分自身もより仕事が楽しくなるし、相手からも一目置かれて、さらなるチャンスに恵まれたりします。
でも、頼まれる仕事というのは、やっぱり・・・相手の要望・意図・思惑の範疇を越えないのですよね。
相手のニーズに応えていく(合わせていく)仕事ばかりしていると、自分の中にある「純粋無垢なクリエイティビティ」が全開で表現できなくて、ちょっとずつ鬱屈としたもの、澱(おり)みたいなものが溜まってきます。
別にそれでもいいんですよ、それでも。仕事も人間関係もうまく回っているし、日々の楽しみをちょこちょこ見つけて幸せに浸れたりするし。それはそれで心地いいですから。
だけど、ときどきふっと「なんか物足りないんだよな~」「もっと生き生きしてもいいはずなんだけどな~」って想いが湧き上がる。エネルギー全開で発信している人を見ると、なんとも言えない苦々しさを感じるときがある。それが澱というものです。
だからこそ、誰からの依頼でもない、誰からも操作されない、「自分発」の何かを発信したいと思ってしまう。誰かの期待にこたえない表現って、すごく自由だな~と感じるんですよね。
そういう発信って、実は強烈な個性とエネルギーを放っていて、誰かの心を射止めます。それがじわじわと広がって、多くの人の目に留まるようになって、「あなたの発信(作品)に惚れてしまいましたので、ぜひ一緒に仕事をしましょう」と自分めがけて、仕事が来るようにもなります。
いろんな分野の活躍している人を取材しているんですけど、その人たちは、最初は何もないところからのはじまりでした。誰からも頼まれてないことを「自分発」で始めて、それがいつしか仕事になって、新たな未来が生まれました。
最初は損ばかりでした。
ある人は、自分のスキルやノウハウをSNSで無料提供して。ある人は自分でカメラ機材を買ってYouTube発信して。またある人は音声メディアでただただ毎日声を吹き込んで。
出費も時間もかさむばかりです。これが一体なんになるんだろう? 自分、なにやってるんだろう? と思いながら、でも腐らずに続けてきた。
「損得勘定を超えてもこれがやりたい! これを発信したいんだ!」と思ったら、それは本物なんだと思う。ほんまもんのクリエイティビティは、ほっとかないよ、誰も。
誰からも頼まれない仕事に着手するのはこわい。
大損するかもしれないし、大コケするかもしれない。
だけど、未来は、自分の本当に望む未来は、誰からも頼まれない仕事からつくられるんだって思いますの。