リトアニアでの珍事件簿
突然だが、私のnote IDは"lietuvos gintaras"である。これはリトアニア語で「リトアニアの琥珀」という意味である。初めてひとりで海外へ出たこと、何かとハプニングが多かったこともあり、いろんな意味でリトアニアへの思い入れは深い。そのリトアニアの名産品のひとつが琥珀なのだ。ちょうど3年経った節目でもあるので、今回はそんなリトアニアでのちょっとおもしろい事件たちを紹介する。
1. はじめましてリトアニア
大学との提携校の短期留学プログラムのため、リトアニアのカウナス(Kaunas)という街に1ヶ月間滞在した。成田からヘルシンキまでおよそ10時間、飛行機を乗り継いでさらに2時間と長旅だ。しかもヘルシンキーカウナス便は本数が少ないため、行きも帰りもヘルシンキで1泊しなくてはならなかった。空港泊には長すぎるので近くにホテルをとった。初ひとり海外にしてはかなりのハードルの高さだ。
カウナス空港は、第2の都市にしてはかなりこぢんまりした空港だった。びっくりしたのは手荷物受取の場所。大きな自動のベルトコンベヤーはなく、3人くらいのガタイのいいお兄さんたちが、ローラーのついた台の上に乗せられたスーツケースを手動で横に流していく。おもしろいな~と思う一方でちょっと先行きが不安になった。
荷物を受け取り、市街地へ行くためにバス乗り場を探した。小さな街なので空港のバス停はひとつしかない。見つけるのにあまり苦労はしなかった。が、ここでまた衝撃の事態が起こる。バスが来たと思ったら客を下ろしてすぐに出発してしまったのだ。何人か客は乗っていた気がするので回送のようでもなかった。私を含めバス停で待っていた人は全員啞然とした。あれはなんだったのか、真実は迷宮入りだ。
それから20〜30分くらい待っただろうか、やっとバスに乗り寮の最寄りのバス停へ向かう。表示や車内アナウンスはもちろんリトアニア語なので、ちゃんと降りられるようにひたすら表示と大学からのメールに書かれたバス停の名前とにらめっこした。アナウンスを繰り返し聞いていると「次のバス停」という表現だけ覚えた。ふと外を見てみるとだんだんと建物が増えてきて市の中心部に近づいていることがわかった。ここでのリトアニアの第一印象はというと「建物が地震に弱そうだな…」だった。なんとなくインフラが弱そうだな…と。どんな印象だ。(のちにこのインフラの心配は見事的中する。)
2. 鍵とのたたかい
バス停に着き、降りてみたものの寮の建物がわからずうろうろしてしまった。しばらくしてバス停から30秒ほどのところにあったことに気づいた。寮の管理人と思しき中年くらいの男性とアシスタントの学生と思しき若い女性に挨拶し、手続きをして無事に部屋の鍵を手に入れた。
部屋は8階だったのでエレベーターで上がった。またこのエレベーターの不安なこと。〇階って言ってるんだろうな~とアナウンスを聞いていると、エレベーターの箱がガコンと音を立てて止まり8階に到着した。部屋を見つけたところまではよかったが、ここでまたハプニングが発生する。部屋の鍵が開かない。正確にいうと、鍵を差して回しカチャッと音がしたのにドアが開かない。ノックしても返事がないのでルームメイトは留守のようだし、同じ階の住人も出払っているのか見当たらない。かれこれ30分くらい左右にクルクル回して鍵と格闘したが、一向に開け方がわからない。埒が明かないので管理人のもとへ行き、鍵が開けられないことを伝えた。若い女性がいっしょに来てくれ、鍵を見てくれるといった。
再び部屋まで来ると、女性は何の迷いもなく鍵を差しこんでクルクルと2周回した。ドアが開いた。え?普通に開くじゃん?と言いたげな顔をされた。いや、2周回すタイプの鍵なんて知らないもん…という気持ちを抑え、英語と覚えたてのリトアニア語でお礼を言った。
※この経験以降、2回まわして開けるタイプの鍵に当たるたびにリトアニアのことを思い出すことになる。(チェコのホテルでも遭遇)
3. 何者?
部屋に荷物を置いて少し休んでから、食糧調達がてら近くを歩いてみることにした。
寮を出てふらふらと歩いていくと大きな教会があった。それはそれは立派な教会でずっしりとしていて、水色の屋根に白い壁という色合いのせいか大きく見えた。ライスヴェス通り(Laisvės alėja)というカウナスのメインストリートの端に鎮座する聖ミカエル教会(Šv. Mikolo Bažnyčia)だ。
このライスヴェス通りの雰囲気が一目で気に入ったので、とりあえず通りを歩くことにした。まっすぐと続く通りは真ん中に木が植えられ、ところどころにベンチがある。色分けがされている部分はどうやら自転車専用らしい。レストランやカフェ、小さな図書館、おみやげ屋さん、マグネットや琥珀のアクセサリーを売る露店などが両サイドにズラリと並んでいる。時折謎の銅像があったりと歩くだけで楽しい。
私がひとりで異国情緒にひたりながら散策を楽しんでいると、不意に英語で話しかけられた。背の高い、若い男性だ。20代半ばくらいだろうか。どこから来たの?とか何しにきたの?とか留学先で現地の人によく聞かれるであろうことを話した。彼は日本人の知り合いがいるらしい。へえ、と相槌を打ちつつ会話をしながら通りを歩く。
どのくらい歩いただろうか、想像以上によくしゃべる青年だった。アジア人は確かに目立つし物珍しさから声をかけたのだろうと思っていたが、それにしてもよくしゃべる。とはいえナンパのような雰囲気もないのでかわすにかわせない。あっちの方にシナゴーグがあるんだよ、とかいろいろ教えてくれるし、現地の人と仲良くするのも悪くはないが少し戸惑った。銀行の前あたりにさしかかったところだったか、やっと彼と別れた。
さて、ここからが少し怖い話になるのだが、私がカウナスに滞在していた1ヶ月間でこのあと彼に会うことは一度もなかったのだ。カウナスに住んでいると言っていたし、あまり大きい街ではないのにも関わらずだ。彼は何者だったのだろうか。
4. バスが動かない!
ルームメイトや他の日本人とも顔を合わせ、いよいよプログラムが始まった。初日のオリエンテーションで参加者の国籍の多様性に驚いた。周りから知らない言語が聞こえてくる。クラス分けも決まり、私のクラスは私ともう一人の日本人、あとは中国人と香港人という東アジア系集団だった。もう一人の日本人の男の子は中国語を話せるので休憩時間には中国語が飛び交う。ここ、どこだっけ。私は何をしに来たんだっけ。
中国語が話せなくても別に問題はなく、クラスメイトとも仲良くなった。プログラムの構成としては午前中はレベル別でのリトアニア語の授業、午後は大きな教室で英語によるリトアニアの文化の授業となっていた。土曜日には遠足のようなアクティビティがあった。時折平日にもみんなでバスで出かけることもあった。しばらくは至極平穏に過ごしていた。
ある日、カウナス郊外のルムシシュケス(Rumšiškės)にある民族生活博物館にバス2台で行った。その帰り道にハプニングは起こる。なんと私が乗っていたバスがヘアピンカーブを曲がり切れず、脱輪してしまった。
真っ先にバスを降りたのはジョージア人の男たち。周りに声をかけバスを押して動かそうとしていた。その迷いのない素早い行動から、ジョージアではこういうことがよくあるのかな…と考えてしまった。しかし、みんなの協力もむなしく、動かせなかった。とりあえずそのバスは放置することになったが、その後は知らない。そしてもともとバス2台で来ていた人数をむりやり1台に押し込んで帰ることになったのだ。1時間弱くらいかかっただろうか。乗車率120%超え、まさかリトアニアで日本の満員電車のような体験をするとは思わなかった。
5. 地獄の5日間
さあ、プログラムも終盤。文法はあらかた終わりテストに向けて準備する期間に入ったときに最後の事件が起こる。
8月9日と10日に寮がある区域の水道管の工事をするという貼り紙が寮内のいたるところにあった。(なぜ日付まで鮮明に覚えているかは後述する。)そしてその期間お湯がでなくなるという旨も書いてあった。2晩だけ、水のシャワーに耐えなくてはならない状況になった。
2晩なら仕方ないかと思ったが、水シャワーは案外きつい。しかもリトアニアは日本より緯度が高いので8月でも日中の気温は高くて25度、夕方になると20度前後まで下がる。さらにカウナスは内陸の都市なので湿度が低い。もう少し気温と湿度があればマシだったかもしれないが、真夏とはいえ水シャワーは地獄だ。
なんとか乗り越えやっとお湯が出る日の朝、さらに衝撃的なことが起こる。寮内に貼られていた紙をよく見るとしれっと日付が書き換えられているではないか。なんと工事は16日まで延びるらしい。二重線を引いて書き直したものもあれば、0の上に角を伸ばして6に見えるようにしたものもある。日付を覚えていたのはこの書き換え方のせいだ。私が寮を出る日が13日だったのでもうリトアニアでお湯のシャワーを浴びられる日はないということになった。帰国前の5日間が水シャワーによる修行の日々になった。私は何をしに来たんだっけ(2回目)。最後の最後にカウナス到着初日の「なんかインフラ弱そう…」というフラグをきれいに回収してしまった。
これには苦情が殺到した。貼り紙には金返せとかf●ckとかブーイングの書き込みもあった。留学生窓口に直接抗議する者もいれば、同じ国や大学の内輪で陰口をたたく者、特に気にしていない者もいる。これはこれで各国の国民性が出て少しおもしろかった。
あとから聞いた話だが、カウナスでは毎年のように7月や8月にこのような工事をしているらしい。過去には4週間のプログラムのうち2週間ほど水を浴び続けなくてはならなかった年もあるそうだ。5日ならまだいい方だったということか。そうは言ってもなかなか堪えるものがあった。シャンプーやボディーソープは泡立たないし全然浴びた気がしないので、もう水シャワーはこりごりだ。
帰りがけのトランジットで泊まったヘルシンキのホテルでお湯が出たときの感動たるや。お湯が出ることでこんなに喜んだ日は後にも先にもないだろう。
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私の初めてのひとり海外、リトアニアへの旅はなかなかの珍道中だった。こんなプチハプニングはあったものの、貴重品を掏られたとか大けがをしたということはなかったので概ね良い旅だったということにしている。おもしろいネタができたし、今思い返せば笑える話だ。それに、人間もそうだがちょっとドジなくらいが可愛いものだ。不自由はあったが、リトアニアという国を嫌いになることはなく、むしろ何度でも行きたいくらいには惚れ込んだ。プチハプニングならご愛嬌。でも、今度は水シャワーの洗礼を受ける心配のない時期に行きたいものだ。
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