狂人は誰か?-博士と狂人
大学時代に英語を専攻していた身として、観ておきたかった映画『博士と狂人』。Oxford English Dictionary (通称: OED)の編纂を題材にした、実話に基づく映画であるからだ。
19世紀、独学で言語学博士となったマレーは、オックスフォード大学で英語辞典編纂計画の中心にいた。シェイクスピアの時代まで遡りすべての言葉を収録するという無謀ともいえるプロジェクトが困難を極める中、博士に大量の資料を送ってくる謎の協力者が現れる。その協力者とは、殺人を犯し精神病院に収監されていたアメリカ人、マイナーだった――。
(公式サイトより)
正直にいうと、演出がリアルでかなり生々しいシーンもあるので、初めて映画を観ながら吐きそうになった。同じく辞書の編纂を題材にした韓国映画『マルモイ ことばあつめ』もなかなかだったが、誰に感情移入しようとしても苦しくなる作品だと思う。だが、それだけの見応えはある。
映画の『博士と狂人』というタイトルだが、あらすじや宣伝で出ている映画レビューを見ると博士はマレー、狂人はマイナーという対比がされている。
マレーは確かに博士である。独学で言語学を極め、その知識は他の学者も舌を巻くほどだ。わかる言語を並べ立てて話すシーンは言語好きの血がうずいた。そして学士号は持っていないながらも辞書の編纂に携わり、劇中で博士号を取得するシーンもある。まごうことなき博士だ。
しかしながら、一方でマイナーもまた、博士なのだ。劇中では看守も精神科医も彼をドクターマイナーと呼んでいる。軍医であったことは劇中でも言及されているが、調べてみるとイェール大学を卒業しているらしい。精神を病んで狂ってしまったとはいえエリートなのだ。門に挟まれた看守の手当をするシーンでは、経験と知識が豊富な医者としての彼が垣間見える。マレーとのやりとりでは、マイナーがいかにたくさんの語彙を知っていて、教養を持ち合わせているかが窺える。
初め、私は混乱した。マイナーは狂人としてあらすじには書かれていたのに、彼も"ドクター(博士)"じゃないか、『博士と狂人』じゃなくて『博士と博士』じゃないかと。
博士と狂人という2つの語は、対義語ではないが、作品では対義語のように扱われていると思う。博士を善や常人とし、狂人を悪や異常者として考えてみると違った見方ができる。
博士とされているマレーも、狂人と呼べる素質があると思う。辞書の編纂についての情熱は異常だし、頑固だ。そして、スコットランド人という、イングランド人にとっては異質な人間でもある。他の学者からすれば彼だって"狂人"だ。
さらにストーリーが進んでいくにつれてもっと狂人じみたキャラクターが出てくる。マイナーの主治医である精神科医だ。マイナーの病気を治す善良な医者の顔をしながら、マイナーを強硬症にしてしまう。治療といいながら彼の心を追い込み、さらに壊していく。
誰が博士で誰が狂人か。原作の小説を呼んだらまた印象が変わるかもしれないが、映画を観るかぎり一概には言えないと考える。
タイトルと登場人物で考えるならば、博士はマレーで狂人は殺人犯でもあるマイナーとするのが妥当だ。しかし、劇中の関係性も考慮すると他に2つほど挙げられる。オックスフォードのマレー以外の学者を博士とするならば、狂人はマレーだ。マイナーの精神科医を狂人とするならば、マイナーは博士だろう。比較する対象によって、マレーもマイナーも、博士にも狂人にもなりうるのだ。
-真実は小説よりも奇なり。
多少劇的な演出は加えているとは思えど、まさにそんな映画だった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?