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アルバイト生活からトップアスリートのメンタルトレーナーになるまでのお話

こんにちは、
メンタルトレーナーの石津貴代です。

この世界に入って今年で20年。
長かったような短かったような。笑

今でこそ、プロ野球選手やオリンピアンなどトップ選手・チームを担当させてもらい、企業様で研修も沢山させてもらって。

日々楽しく幸せにやっていますが、ここまでの道のりは紆余曲折あったなぁと思います。

20年という節目。

高卒でスポーツ経験もない下町の会社員から、アルバイト生活を経て、メンタルトレーナーとしてここに至るまでの20年の道のり。

今回は『メンタルトレーナーの私』を確立した、厳しい厳しい3年間の修行時代にフォーカスして、書いてみたいと思います。


会社員を辞めアルバイトをしながら、3年間の修行期間のスタート


・緊張がひどく自信もない
・感情的になって人と対立してしまう
・目標立てても途中で挫折する

夢も叶えられない、目標も達成出来ない、自分のお豆腐メンタルをどうにかしたい。

憧れのスポーツの世界でアスリートたちと切磋琢磨する仕事がしたい。

調べてみると「メンタルトレーニング」というものがあることを知りました。

しっかり学べる機関を探してこの世界に入ったのが25歳。

ここから3年に渡る修行時代が始まります。

メンタルトレーナーになるために一番キツかったのは間違いなくこの時期。

起業してこの仕事だけで食べていけるまでの期間も大変でしたが、それも霞むくらいにこの時期は、とにかく厳しかったです。


あゆを崇拝するギャルからの強制卒業


さて。

この世界に入った当時の私は、ど真ん中世代で『浜崎あゆみさん』大好きなギャル。笑

そんな私が、右も左も分からずに勢いで飛び込んだメンタルトレーニングの世界。

一人前のメンタルトレーナーになるために、まず取り組んだのが「あり方」の構築でした。

アスリートから信頼され結果を出せるメンタルトレーナーとは?

ここの徹底追及です。

女の子はスポーツの現場にいらない。
現場に入る時は女性性を手放しなさい。

自分がどうしたい、
ではなく、どう見られるか?だ。

という師匠の言葉。

メンタルトレーナーになるために、一番最初に変えたのは「見た目」でした。

「茶髪、ローライズデニム、キャミソール」

という分かりやすい『あゆ崇拝スタイル』から、

「メガネ、黒髪、黒パンツ、白シャツ」の優等生スタイルに変身。笑

徹底的に女の子感を抜いて、場に馴染み、悪目立ちしない風貌に変えました。

今となっては、この重要性、とてもよく理解出来ますし、仕事として当たり前のことなのですが…

自由な社風の会社で甘やかされて仕事をして、ちゃんとした社会経験もほとんどない当時の私にとっては、ものすごい抵抗感。笑

アイデンティティでもあった「もてはやされる可愛い女子」を手放し、身なりを「メンタルトレーナー」に整えることからスタートしました。

『 成功している自分を明確にイメージし、それを先取りする 』人生のはじまりです。


「本気でやる気があるなら、保険をかけるな」会社員を辞めてアルバイト生活に

― 向き合うアスリートたちは人生をかけてやっている。会社員やりながら、片手間で勉強するならその程度。

いつでも逃げられる道を断ってでも、本気でやる覚悟はあるのか? ―

アシスタント始めて数ヶ月経った頃、このように師匠から言われます。

若くて素直な私は安定の会社員を辞めます。笑
もちろん本気でやりたかったからです。

ここからバイトをしながらアシスタントをする、本格的な修行生活が始まりました。

この覚悟、確実に私の人生の大きな転機です。

バイトで最低限の生活費を稼ぎつつ、師匠が担当する選手たちの全国各地の試合に自腹でついて行き、無報酬のアシスタント活動。

師匠が選手と話す言葉を一字一句メモし、選手や指導者と向き合う姿勢を見て、徹底的に自分に叩き込みました。

座学だけでは学ぶことが出来ない、プロフェッショナルの仕事を間近で見ながら、トレーナーとして、人間として一番成長した時期。

「お金がない」を言い訳にせず、とにかく行ける限り全ての現場について行きました。日々変動する師匠のスケジュールに合わせるので固定のアルバイトはなかなか出来ません。

工場で化粧品にシールを貼る仕事や、銀行の店頭でのカード勧誘など、日雇いも含め、色んなバイトをしつつやりくりしていました。
 
そんなこんなで必死にアシスタントをして2年を越えた頃、師匠から強豪チームのひとりの選手を任せてもらえることになります。

ここから次のステージが始まりました。


守破離の「破」と「離」のはじまり

  • 守 (教えを守る) 

  • 破 (自分なりのやり方が出てくる)

  • 離 (離れる)

はじめてひとりで担当させてもらったのが、とある大学チームのキャプテンでした。 

これまで叩き込んで来た知識、見てきたものをこれでもか、と全て出しました。

その選手は全日本選手権で活躍し、日本代表候補に入ります。

今となっては、私とその選手の相性が良いだろうと踏んで、師匠が任せてくださったのだと分かるわけですが、当時の私は有頂天です。笑

その後に任された高校バレーボール部も、担当から1年でチーム史上最高のインターハイ3位入賞。

このあたりから「守」→「破」が始まります。

それまでは師匠の言うことは絶対、全てを守り、学ばせていただく姿勢だった私が「私はこうしたい」という気持ちが強くなってきます。

自己主張をするようになり、違うと思うことは違うと言うようになりました。

元々、人の下につくのが苦手、自分ひとりで何かをすることが好きだった性格もあり、まるで反抗期の子供のように師匠に反発をはじめます。

そろそろ潮時だと感じました。

師匠の元に入ってから4年目に差し掛かる直前に、独り立ちをすることを決めました。

文字通りの『守破離』。 

独り立ちして、派遣社員とWワークをしながら経験を積み重ねる、次のステージが始まりました。

ここから法人化して今に至るまでのお話は、またいつか書こうと思います。



師匠の元を離れて、今年で17年。
メンタルトレーニングの世界に入って20年。

酸いも甘いも色々ありましたが…

とにもかくにも。

若く無知で、社会性ゼロ、スポーツ業界の右も左も分からないギャルだった私を、厳しくも愛を持って育ててくださった師匠には今も心から感謝しています。

似た人を街で見かけるとビクッとするくらい、今でも思い出すと緊張感がありますが。笑

私も人を育てる側になり、あの頃の師匠の厳しさが今とても大きな愛だったと感じます。

本当にありがとうございました。

ここからもメンタルトレーナーとして、ご縁のあった方たちのお力になれるよう、全力投球していきます!!


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