46万回のありがとう #22 ありがとうを言い続けてわかった2種類のそれ
これは、ワタシが46万回のありがとうを言うまでの奇跡の記録。
22日目の朝。
トイレ掃除と床の拭き掃除、玄関の床磨き。
フルコース終えた後のご褒美は窓から見える突き抜けた青空。
拭き掃除をしていてふと気づいたことがある。
ありがとうには2種類あるということ。
いや、厳密に言うと、『ワタシのありがとうチャレンジ』の“ありがとう”には、だ。
心から溢れるありがとうの時、例えば歩いていて空や空気が気持ちいい時は、歩幅に合わせて心の中で
ありがとう、ありがとう、ありがとう、、、
と、つい言ってしまう。
でも、ワタシのありがとうチャレンジは意識してありがとうを唱える時間の割合の方が大きい。
修行のように、カウンターに向かってひたすらありがとうを唱える。
ありがとうを言いだすと、ありがとうと思うことが次々と浮かぶことはあっても
「今日の晩ご飯どうしよう」
とか
「あ、あの仕事どうなってたっけ?」
とかそんなことを思うことはできない。
3年前、屋久島で森に入った時、一部斜面を両手をつき、足場を探して登った時のことを思い出す。明らかに普段とは違う頭の使い方だった。
何かに集中している時、ほかのことを真剣に考えることはできない。
ありがとうでもこの現象が起きる。
集中してありがとうを唱えているからだ。
お坊さんの唱えるお経なんかもそうなんだろう。
この、いわばゾーンに入っている状態がいいのだろう。
集中してありがとうを唱えている時、ピコンと彼からLINEが来たり、このnoteへの投稿にスキしてくれた方のお知らせが来たりする。
ゾーンに入っているのはものの数分なのにも関わらず。
今日も穏やかな気持ちでスタートできたこと。
好きな音楽を聴きながらノリノリでこれを書いていること。
全てにありがとうを叫びたい。
ベランダで洗濯物が気持ち良さげにゆらゆらしている。
しばし、洗濯物の気分を味わってみる。
- 太陽の光がポカポカで、でも風はピシッと身を引き締めてくれる。下の散歩道で幸せそうに会話をする初老の夫婦。その後ろには小さな子どもが時折おっとっととバランスを崩しそうになりながら補助輪なしの自転車を真剣にこいでいる。それを心配そうに見守る父親。そのアンバランスさがなんだか愛おしくクスッと笑う。いかんいかん、笑ったらポジションが崩れてしもた。風にお願いして、元のポジションに直してもらう。そしてまた、何もなかったように胸を張って太陽の光を浴びるのだ。
今日は3月3日。
娘のお雛祭りをささやかながらお祝いする予定。
46万回まで40万回をきってなんだか楽しくなってきた。
これを読んでくださって方、スキしてくださる方にもありがとう。
ありがとうは言われた側にも徳が積まれていくそうです。