親とのバトルにひとまず勝った話。
さてさて待望の4連休。というわけでクセと圧強めの記事をひとつ。ふじもnです。今回は少し感情が高まっているので以後「だ・である調」でいきます。
「産み育ててくれた親に感謝しよう」「今までの恩返しのために親孝行はするべきだ」―このような道徳観は一般的にあるし、ある程度妥当だと思う(子どもを一人育てるために1000万円以上かかるとも言われる)。
他方、「毒になる親」「産んでくれと頼んでないのに親に感謝しろというのはおかしい」―こんな言説も最近になってよく見かけるようになったし、実際虐待やネグレクトを受けていて感謝どころではない関係もある。
では私の親子関係はどうか。一言で言えばどうしても反りが合わない関係である。私の両親がどんな人間だったかは以前はてなブログ(現在ログイン出来なかったり色々あって更新休止中)の方で書いた。
要約すると、母は厳しくて絶対に褒めない・謝らない人で、父はデリカシーがなくて思ったことを悪気なくそのまま言う人である。
またこの記事には書いていなかったが、高校生から大学生のころにかけて親を完全に拒否する勇気がなくて何とか親と話し合いをして真意を探ろうと試みた。しかし話し合えば話し合うほど両親の価値基準がよくわからないと思うようになった。なぜなら話し合いをしても「私は間違っていないと思う」「あなたに親の気持ちは分からない」と言われ、最終的には「いつも私たちが憎まれ役だ。ちょっと弟の面倒見てたり、弟の言うことを聞いたらあなたから不満を言われる。それであなたの顔を立てようとしたら今度は弟たちが不満を言いに来る。いっつも私たちが不満のはけ口になってる!もう嫌だ!もう知らん!そんなに不満があるんだったら早く家から出ていけ!」と怒鳴られるためだ。
だから私はもう親を信頼できないし、期待も興味関心もないし、尊敬も感謝もしていない。憎しみも腹立たしさすらも浮かばない。つまり無感情。虚無だ。
そのため、ここ数年は自分のやりたい・したいことやスケジュールなどをすべて事後報告で済ませるようになっていた。その都度、親からは「事後報告なんてありえない」とキレられていたが押し黙ったり、「もう変更できないから仕方ない」とだけ伝えてやりたいようにやっていた。そしてもちろん就活の時も去年転職活動したときも今の仕事に就いて実家を出ることも変更が効かないようになってから親に話した。その当時には「どうせ事後報告。勝手にしたらいい。好きにしろ。」と、目も合わせずドスの効いた声で返事が返ってきただけだった。
また実家を出てからは「好きにしろ」というお言葉に甘えて全く連絡をしていない。私からは提出書類のための確認事項だったり、実家に置き忘れたものの処遇をどうするかだったりといった事務的・必要最低限の連絡だけである。一方両親の方は「どうせロクな生活をしてない」「家事のセンスのない子だから早く結婚しろ」といった特に根拠のない想像とそこから導き出した小言・嫌味を沿えて近況報告をしてくる。先述の通り、すでに両親には無感情なのでそれを真に受けることもしないし、反論もしない。オール既読スルーである。
そして今日7/21、仕事終わりに帰省の予定を伝えたくて祖母に電話した際にタイトルに書いた親とのバトルが勃発した。どうもたまたま祖母が外出している際に私の母が祖母の家の模様替えをしていたらしい。祖母宅の電話から久々に聞く母の声がして、私は「やばい。逃げられない。」と冷や汗をかいた。以下は今日の会話である(私も向こうもバキバキの関西弁だったがここでは標準語で書く)。
母「おばあちゃんには連絡するんだ。」
私「お盆の予定を聞きたかっただけ。お母さんにもこの前言った。」
母「いつも事後報告だな。しかも家出てからは報告もしてこなくなったな。相談もないしさ。どういうつもり?」
私「何の報告が必要かもわからないし、特に今困ってることもないのに何を相談するの?」
母「就職もなんでもそうだけど普通親に一言相談してから決めるものでしょ。」
私「なんで?もう成人してるし社会人として自分の人生を歩んでいかないといけないと思うから就職とかライフプランは私が決めるものでしょ?で、その決定に際して特に心配とか困ったこととかもないし、相談したいこともないんだけど、お母さんは私にどうしてほしいの?」
母「あなた一人の決定なんか間違ってるところもあるから客観的な意見が必要でしょ。だから私が聞いてアドバイスしてあげようと思ってるの。それに心配がないことなんかありえない。」
私「なんで間違ってる前提なの?それに客観的な意見だったら友達も言ってくれるよ?というか心配とかが浮かぶ前に正直やってみないと分からないことが多いから何をお母さんに伝えないといけないのかがわからない。それに最終的に決めるのは私だからアドバイスを聞いたとしてもその通りにしないこともあるよ?」
母「報連相は大人の基本でしょ。友達はあなたに都合のいいことしか言わないし、私とは付き合いの長さが違う。そんな行き当たりばったりで上手くいいくわけがない。私はあなたの親として心配してるし、あなたのためを思って言ってる。ずっと見てきたんだから私があなたのことを一番わかってるし、愛してるし、アドバイス通りにしないとしても聞く価値はある。なんでそれを拒否するの?まだ親になったことないからこの気持ちなんてわからないだろうけど、親ってそういうものだから絶対相談は必要なの。」
私「そうか。心配してくれてありがとう。だとしたら、今は私が自分の実力でどの程度までできるか試したいから少し放っておいてくれないかな。お母さんの心配も愛情も十分分かった。でもお母さんはいつまでもいるわけじゃないし、自立するためには自分で何かを成し遂げないとだめだと思う。でもそれはお母さんを拒絶して突き放してるわけじゃないし、なんかあったらちゃんと連絡するからそこは安心してほしい。だから......」
母「そんなきれいごと通るわけないし、簡単に分かったとかいわないで!あなたはいつも自分ファースト!私のことなんか眼中にないし、こっちの気持ちも受け取ろうとしないし、何考えてるか全く分からない!だからあなたの言い分は全く信用ならない!親を欺いて楽しいか?!自分の実力なんかそんんな甘い考えでしかも20代のうちにわかるわけない!なんで私のことを遠ざけるの?私のこと嫌いで憎いと思ってるでしょ?」
私「......いや、だからそんなつもりじゃ......」
母「声が小さくなった!どうせまた怒られたとか思ってるんでしょ?だって普段から報告だけしかしないからあなたの考えがわからないんだもん。私のことどう思うの?どうしてほしいの?」
私「......」
母「言っとくけど私はあなたのために言ってるから。私のことを大事に思ってるんだったら答えてよ。全く連絡よこさないから今聞くけどさ、今はどういう人生設計でどんな生活してるの?初めてのことばっかりなんだから私に相談することあるでしょ?親としてアドバイスするから。さあ早く!」
私「......」
母「出た出た!都合が悪くなるとそうやっていつも押し黙るもんな。黙ってたって今回は逃がさないからな。そうやって黙る癖をつけてたらストレスで身体壊すよ。自分の気持ちに蓋していいことなんてないし、自分の気持ちが分からなくなるし、感情のパターンも増えないよ。それにそんな感情のパターンが少なかったら他人の気持ちも汲み取れないし、いい人間関係は築けないね。」
私「......じゃあしばらく何も言わないで見守っててください。今時ネットで調べたら料理とか家事の情報は出てくるし、連絡もなかなか返せなくて、お母さんの心配を無下にするようで申し訳ないからです。便りがないのはいい便りだと思ってください。人生設計はまだ模索中だからはっきり言えません。ごめんなさい。」
母「親に敬語とかありえない。よそよそしい!私が一番嫌いなことな。やっぱり私らのことが憎くて仕方ないんでしょ。だから事後報告しかしないし、逃げるように実家出て、何の策も計画もないまま一人で生きるとか言ってさ。偉そうにかっこつけてさ!私たちがいないとあなた産まれてないのよ?生みの親に連絡もよこさないし、挙句連絡するなとか何様?自分ひとりで大きくなれたとか思いあがるんじゃないぞ?」
私「親が憎いとか一言も言ってないし、思ってもないし、元気に生んでくれてありがとうと思う。しかも連絡するなとも言ってない。私の話をちゃんと聞いて言葉通りに受け取ってほしいけど、でもお母さんがそう思わないならそう思わないで別にいいよ。でも私はお母さんじゃないからお母さんの期待に全部答えられないし、お母さんがしてほしいと思ってることもお母さんの思い通りにできないから、それは先に謝っておく。ごめん。それに、自分のやりたいこととお母さんのやりたいことだったらそれは私のやりたいことを優先させてもらうから、そこもごめん。」
母「何それ?いっつもそう。肝心なところで引いて、本心を言わないで逃げる。しかも私が悪者みたいになってるじゃん。それでずっと根に持って私のこと嫌ってるんでしょ?気持ち悪い。ホントに陰湿だし、ほんとあなたのそういうやり口は嫌いだし、話にならない!もういい!なんか問題になっても私らは何も助けないし、何もアドバイスしない!こんな親不孝な娘に育てた覚えはない!勝手にしろ!」
こうして母の罵声を最後に電話が切れた。この会話の価値判断は読者の皆さんに任せるが、少なくとも私はバトルに勝ったと思っている。なぜなら母はいつにも増して感情的だったし、途中から私の疑問や私の気持ちに答えなくなったし、まくし立ててしゃべるときは母がかなり追い込まれているサインだからである。また「勝手にしろ」と電話を切られたことで今回の話し合いを先に降りたのは母ということにもなる。そして特に今回私は罵詈雑言を浴びせず、最後まで感情的にならなかった。それだけでなく、今までの母との話し合いの最後は私がひたすら押し黙って母のまくしたてを静かに聞いているだけだったのが、自分の言いたいことをしっかり言うこともできた。これは自分にとって大きな一歩だと思ったから「バトルに勝った」という表現をした。
というわけでこのnoteをしたためながら、自分の気持ちを落ち着かせるために今は日本酒2合飲んだ今年の誕生日よりも深酒をしている。
(日本酒1合半、焼酎のソーダ割り1杯、梅サワーの素と焼酎を合わせてソーダで割ったお酒1杯、カルーアミルク1杯)
こういうお酒の飲み方はあんまりよくないし、深夜×へべれけという理性ぶっ飛びふにゃふにゃ狂人モードになりつつあるので今日はこの辺で。
ではまた明日。おそらく二日酔いとともに。