生の正体
人は死ぬために生きている。
いやお前ネガティブスギィ!!
って思ったでしょ。うん、分かる。
だけど、これ、見方を変えると実はネガティブな発言じゃなくてポジティブな発言で捉えれるんだよね。
というのも、
“死”っていうゴールの前にどれだけ自己満足をできるかって事で僕はこの言葉を捉えてる。
ありきたりだけど、人はどうせ死ぬし、死んだ後に残るのは自分の中にある記憶だけ。
いや、むしろ記憶さえも残らない。
だとしたら、恥ずかしい事ってある?
急な告白失敬。僕は大学受験浪人をした。
しかも二年も。
多分世間的に見たらいるけどそんなにいない少し稀な存在だろう。
この身分になってから他人に言われるようになったのは、
「二浪はやばくね」とか「二浪恥ずかしくね」などといった発言。仲のいい友達にさえ言われた。
最初はこの発言に対して、僕は心の中でいちいち核爆発を引き起こしてた。
(だって言われた事なかったから!!)
でも何度も、二浪、や、自分の存在、人生を考える内に、この発言は確実に間違ってることに気づいた。
だって、”僕は”恥ずかしくないから。
他人の中では恥ずかしいと思うかもしれなけど、僕の中では誇らしいものになっているのは確かだ。だって今までの人生でここまで固執したもの(大学受験のようなもの)はそうそうないから。
別に僕も初めから前向きだったわけじゃない。
不安だったし、絶望しかなかったし、消えたいと思って自殺未遂までした。だけど苦渋を重ねていくうちに、周りと比べる事、自分自身の信念に恥じらいを持つことの滑稽さに気づいた。
(多分これは、浪人してなかったら気づいてない)
負けることは財産って誰かが言ってたけど、本当にその通りだと思う。だって、僕もこの大学受験という圧倒的に狭い枠組みの中の”負け”においてでさえ”気づけたこと”、”得られたもの”、”考え” があったから。
今、過去の僕のように未来に不安を抱いてる人がいたり、周りと比べて劣等感を感じてる人がいたらこう考えて欲しい。
“自分の中では自分が全部正解”
自分が正解だと思ってればそれでいいんです。
突き進め。