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ぼくの統合失調症における急性期(哲学、美学の話も)
私は、統合失調症なのだが、誇大妄想がある。とくに、急性期において、その傾向が強くなるので、その時期のことと、前回の記事で書いたバタイユに、「出会いなおした」ことについて、書こうと思う。
まず、誇大妄想について見ておこう。「妄想には被害的なもののほかに多くのタイプがあります。よくみられるのは誇大妄想です。『気分次第で天気を変えられる、ほかの天体との位置関係から太陽の動きも支配できる』。こんな妄想から、自分はキリストである、聖母マリアである、何か高尚な、または重要な人物であるという信念にいたる場合もよくあります。私の患者は、入院の日には自分が毛沢東であると信じていましたが、治療を開始した翌日には少しよくなって、毛沢東の弟になっていました。また、映画スターになったと信じる場合もあります。誇大妄想もときには危険なことがあります。空を飛ぶことができる、胸で弾丸を止めることができるなどと信じ、あえてその信念の正しさを示そうとして、悲劇的な結末をもたらすからです。」(E・フラー・トーリー著、「統合失調症がよくわかる本」)
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統合失調症の急性期のころ、私は、ブリジストン美術館で開催された、カイユボット展に二回、足を運んだ。カイユボットは、印象派の重要な画家であるが、私は自分が、カイユボットの生まれ変わりである、とゆう妄想に捉われたのだった。まさしく、トーリー博士のゆうところの、「何か高尚な、または重要な人物であるという信念にいたる」とゆう記述のとおりである。
中国語の授業も聴講しよう、と思っていたので、ブリジストン美術館の近くにあった、三省堂書店に教科書を取り寄せていただき、取りに行くタイミングで、書棚から見つけた本を買った。以前、ゼミを聴講させていただいていた酒井健先生の、「バタイユ入門」とゆう本で、教科書と合わせて購入したのだった。その時、私は、自分はバタイユだ!とも思っていたのである。他に、なぜ、この二冊を同時に買ったか、とゆう理由はあって、大学で、中国語と酒井先生の美学ゼミが同じ曜日に授業があって、お二人の雰囲気が明るくて、しかも共に東京大学卒の超インテリとゆうこともあってか、似てるな~、と思っていたのである。酒井先生が、ぼくのことを、「マルクスや、ヘーゲルも、実は、美学的だったんだ」と仰られたので、カイユボットに出会って、「実は、ぼくは、画家だったんだ」と思って、酒井先生の悦びを想って泣いたり。
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他にも、以前書いたベルクソンとゆう哲学者の本に書かれている、ターナーとゆう画家の展覧会にも行った。そこで買った、フェルメールの「地理学者」のポストカードを中国語の先生に渡した。渡したときには、別の中国語の先生も居て、ぼくのストーカー行為を注意しようとしていたのである。
ベルクソンの「笑い」とゆう本を、当時通っていた、クリニックの受付の方に渡そうとした。受付の方はそれを見て「私も笑顔にならなきゃ!」と思ったそうである。その後、受付の方と親交を結び、ぼくの障がい者手帳を持って美術館へ行ったり、原田マハさんが、ヴァン・ゴッホやアンリ・ルソーを題材にした本などで、読書会をするまでになった。私の女性に対する態度が、少しでも改善しているのならば、すべて彼女のおかげである。
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