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「しない」評価を受け入れること
「しない」を評価することを、わたし自身はとても大切にしています。より多くを生産しより多く行動したことそのものが評価される社会では、特にこのような視点を持つことは生活にバランスを取り戻す上で大切になると思うからです。その上で先日書いたnoteは「評価する」側の目線で書いてたものですが、実は「評価される」側にとっても同じように意識の偏りがあるのではないか、そんな風に思うことがあります。
以前、チームにものすごいガンバリ屋の鈴木さん(仮名)という従業員がいました。鈴木さんはモチベーション高く仕事に意欲的に取り組んでいました!わたしは鈴木さんの仕事ぶりが好きだったし、とても高く評価していました。でも、ちょっと真面目すぎるところがあって(笑)たまに、良かれと思ってやっている業務がちょっとおせっかいなところがあった。それはもちろん必ずしも悪いことではなくチームがゴタゴタしている状況にあってはみんなが救われていました。
チーム自体の環境も良くなりとても好循環してくると、あえて手をつけないほうがより自発的で柔軟な対応ができる、といったケースがだんだん出てくるようになっていたころでした。そこで、わたしは鈴木さんに、今やっているこれとこれとこのタスクを辞めるように話をしたんです。時間が余ったら遊んでてもいいし、待機することもまたチームワークには大事な仕事なんですよ、と。
ところが、とても真面目な鈴木さんは自分の行動に対する評価にショックを受けて、しばらくして自分はこのチームには必要がないからと辞めてしまったことがあります。
わたしにとっても、ちょっとショックな出来事でした。
だって、別にわたしは鈴木さんを低く評価をしたつもりがないからです。タスクを減らせばなにより鈴木さんが楽になるし、それがひいてはチームのためになるのだから良いことづくしでしょ!ところが自分は必要ない人材だと感じてしまう。。。そこでわたしはやっと自分の思慮のなさに思い至りました。「しなくていい」は評価する側の意識の問題だけでなく、評価される側にとっても「役立たず」のレッテルが貼られたという意識から抜け出せていないのではないか?
「しない」ことが成果につながることはたくさんあります。もちろん、頭ではみなさんわかってるんです。「しない」を選択できることはステップアップなんです。ところが、一方でそれが「評価に値しない」と自身がどこかで感じとってしまっている。ここにも根深い問題があるのかもしれません。みんなが「しない」評価をより高度で良いものだとして受け入れること、そこに一筋の光があるように思います。
りなる
#しないをする #評価 #人事評価 #組織