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こんな映画みた

ドリームプラン

YouTuberが激推ししてたのをキッカケにみてみました。テニスのウィリアムズ姉妹の生い立ちの物語。確かに面白いし、これが実話だってことの驚きがあります。エンドロールでリアルお父さんの映像がでてくるのですが、あらためて作中の再現力が半端なかったことに圧倒されます。あれ?お父さん、ウィル・スミス?って思いますw(逆)

興味深かったのは人種差別を心情的な問題からだけでなく、社会の構造的な問題として、そこから抜け出す「プラン」を家族ぐるみで実行したたくましい努力が描かれたこと。人種問題を新しい切り口で描いた良作と言えるのじゃないかとも思います。お父さんの「プラン」が時に心を打つ。自分が人より優位にたっても決してお金や地位に甘んじることで人を見下してはいけないという子供にたいする思いやりやしつけに心動かされる。またその描く構想が大きすぎて常人には理解しがたいものもある。

ジュニアの選手として見出され、家族のくらしぶりは徐々に裕福になっていく(プランが実現していく)。そんな中でも、お金や地位に目が眩むことなく300万ドルのオファーを拒否してまで、自らのプラン、娘の意思や、やりがいを重視する。その生き様は見ていて爽快。そしてその結果、更に何倍ものオファーを勝ち得て、よりたくさん稼いで、名声も得て、、、まさに「プラン」の結実、アメリカンドリームを叶える!!その後のウィリアムズ姉妹の活躍はみなさんの知る通り。

ただ、映画の後半そのストーリーの筋がブレる(そうわたしは感じてしまった)。。。サクセスストーリーものの帰結として、しかたのないことなのかもしれないけれど、あれ?この物語の後半、アメリカンドリームの定義が結局「稼ぎ」になっちゃってない?お父さんが前半に言ってた人としての”成功”はどこにいったんだ?成功ってなんだろう。それを映画などで可視化しようとしたとき、やっぱり金額とか額面といった単位になってしまうのかな。。。

最後の忠臣蔵

忠臣蔵のその後の物語。忠臣蔵ではその華々しい仇討ちばかりが注目されますが、ほんとうに大変なのは「生き残った」ものたち。事件が終わったあとも、生はただ滔々と続いていく。蔵之介亡き後、生きろと命じられた家臣たちが必死で生きるさまが描かれる。華々しく散ったものたちよりも、無様に生き残ってしまった武士を描く。「人生」とは何なのか。。。このコンセプトはすばらしい!

ただ、描かれ方があまり好きになれなかった。。。忠義に生きる男とそれを支える女がいて、女性はそれを支え付き従い、男性は ”カッコよく” 寡黙に生き様を貫き通す。そういう武士の生き方が賛美されるのはいい。ただ、そこには当然それを支えた女性としての気概や美徳があったはず。このような時代背景すらも「武士ゆえ」という一言でまとめてしまう。これってなんだか ”サムライ” に憧れる現代目線の男よがりの理想像にみえてしまった。現代感覚で武士を語るのはナンセンスじゃないかな。これではあまりに男尊女卑目線がすぎると感じてしまう人もいるのではないか。(レビューを見てみると「すばらしき女性がいてこそ男性が活きる」と感涙している意見もあるようだから感じ方はそれぞれかもしれないケド。)

最後の結末も。。。無様に生きることの方がよほど困難で尊いというコンセプトが、結局華々しく武士として散る姿を賞賛して終わったようにもとれる。そして、ここでもまた女性はただ男性の好きなようにさせ、見守るだけなのか。。。決して悪い映画でないだけに、ちょっとなにか一言説明が足りてない感じが残った。

あ、でもこれだけは言いたい。役所広司最高!佐藤浩一最高!!

古代の支配者たち -巨大帝国の宿命

最近本を読む代わりにこういうドキュメンタリーものをついつい見てしまう。アレクサンドロス大王、カエサル、クレオパトラの生涯を追った三部作ドキュメンタリーです。(いっき見して疲れてしまい、クレオパトラの回はまだ未視聴。)社会をコントロールするっていうのはいかなることなのか、いろいろ考えさせられる。わたしのような歴史音痴には、さくっと学べておすすめです。

基本的に社会って一人の人間がどうこうして変わる様なものではないとわたしは思うんです。それはそこに生きる全員の民意が底上げされ、成熟したときにただ起こるものだから。。。ただ、稀に一人の人間が劇的に世の中を一変してしまうような力を持つことがある。そんな稀代の支配者の物語。。。

力によって捻じ曲げた社会というのは、力によってしか維持できない。川の流れをダムの力によって堰き止めたのなら、ダムの力は維持され続けなければならない。すると世の中を良くしたいという高い志すらもその力を維持することのほうに力点が置かれる様になり、次第に(必然的に)強権の誇示という方向に向かってしまう。力というのはそういうものなんだ。そして、その力の楔を失ったときには当然より戻しがくる。

社会が閉塞的になってくると決まって民はより大きな力をもった「リーダー」を欲する。民主主義が停滞すると、決まって権威主義に頼りたくなってくる。今の日本でもね、みんな声をそろえてリーダーがリーダーがって言うよね。そんな今だからこそ、、、頭の片隅にいれておきたい物語。

金の国 水の国

なかなかにチャレンジングな構想だと思った。

アニメのキャラとしてまったくぱっとしないヒロインにぱっとしない主人公が、歪み合う2つの国をつなぐカスガイとなって破滅的な危機からみんなを救う話。決して作画が下手なわけではなく(物語の中にはちゃんとイケメンが登場する)、この「地味さ」はたぶんあえてなのだろう。ルッキズムに対する挑戦だったかもしれない。

これは外見だけに限らない、世界を変えるのは圧倒的な権力や財力や華々しい功績、まして見た目などではなく、目の前の誰かを救いたいと願う素朴な心のあり様なのだ。と、そんなことを語ろうとする物語。それはストーリーにも絵柄にも徹底されていて、観客にも迎合しない。ちょうど巨大帝国を作り上げたドキュメンタリーを観た後だったせいか色々に考えさせられる部分もあった佳作。

面白い物語なのだけど映画としての華がないというか、主人公が劇的な成功を手にするわけでもなく。。。世の中には華やかなヒーローがいて、美女がいて、人々から語り継がれるべき役回りの人がいる。それはそういう役回りなのだとでも言わんばかりに。歴史に名こそのこさなかったぱっとしない数々の住民にも同じく重大な役割があって、それぞれの思いが連なって歴史は紡がれていく。。。それはきっと現代を生きるわたしたちにとっても同じこと。それがこの物語の醍醐味であり、とてもチャレンジングなアニメ映画だと思った。

南極の料理人

『0.5の男』にハマりすぎて、同監督の映画を探して行き着いた。

15年ほど前の映画でしょうか。まだ荒削りですが、確かに0.5男の片鱗が覗ける映画でした(上から目線www)前半は淡々とただのんびりと物語は進行していき、後半そのひととなりがわかったころに、不思議と心が動かされます。物語は何も進行しないのに、きっと観客の心がキャラクターの目線に同期することで、見ているものの意味づけが変わってくるのだろう。不味いただの唐揚げが特別な唐揚げに見えたとき、何もない映画のワンシーンをみながら涙できる。そんな映画。

身の回りにあるあらゆる他愛もない人の行動や、しぐさ、モノを、その人となりからくる「特別」に変容させる。そんな描き方が上手い監督なのだなと思った。



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