「初心忘るべからず」の意味
「初心忘るべからず」
多くの方が耳にしたことのある言葉ではないでしょうか
調べると以下解説が出てきました
以前勤めていた職場で役員の方がこのようなことを仰ってました
「入社して一番最初に大事に思ったことを紙に書き社員証ケースに入れて、定期的にその紙を見返すようにしている」
うろ覚えですがニュアンスは大体こんな感じでした
これはまさに前述の「初心忘るべからず」を体現されている一例だと思います
私はこれまでの人生で「初心忘るべからず」を念頭に置いて行動してきたことはありませんでした(役員の方の話は右から左に流れていたようです)
そんな私が「初心忘るべからず」の本当の意味はこういうことなのではないかと思う出来事が最近ありましたので、そのことについて書いていきます
エピソード
私は直近で転職し、少し前まで研修中の立場にありました
研修開始当初は教えていただいたことを淡々とこなし、ミスをした時も反省はしていたもののどこか上の空でした
業務を教えてくださる先輩社員の方は、感情よりも論理を優先される方で「どこが間違っていたかを的確に教える」という性格?方針?のようでした
それ自体はそこまで苦ではなかったのですが、時には「それを言ってしまったらアウトじゃないか?」と思うような伝え方でフィードバックをいただくこともありました
甘ったれた意見ですが、これが結構しんどく心が仕事からどんどん離れていきました
仕事に身が入っておらずミスをする→改善点の指摘を受ける→モチベーションが下がる→さらに心が離れていきミスをする→改善点の指摘を受ける…
といった負のループに入り、時の経過とともにモチベーションは下がる一方でした
(本当にダメな人間です、申し訳ない気持ちでいっぱいです)
このような状態がしばらく続いた時、ふとあることに気付きました
言い方は鋭いかもしれないが、そこに悪意を込めている様子はない
むしろ私の成長のために色々と考えてくださっていて、それをアウトプットしている
その背景には、業務が逼迫するため早く研修を終了させたいといった自身の利益追求もあったかもしれません
しかし、私の研修のために忙しい時間を割いてくださっているのは紛れもない事実です
果たして私はその事実に向き合って誠実に仕事へ取り組めていただろうか
いや間違いなく取り組めていない
この人の”本気” に対し、私も”本気” で向き合わなければならないのではないだろうか
この考えが芽生えてからは頂いたフィードバックを参照するに留まらず、自分自身でもミスの防止策を検討し実行するなど、私なりに”本気” で向き合うようになっていきました
このように日々を過ごしている中で、ふと「初心忘るべからず」というワードが頭によぎりました
私が考える「初心忘るべからず」
先述のエピソードより、これこそが「初心忘るべからず」の本当の意味であると私は考えます
確かに何かを始めるときに最初に抱いていた想いも大切かもしれません
しかし、そこに信念めいたものが無いとしたら、そこはそもそも立ち返るべき場所なのでしょうか?
挫折してしまった時、道に迷った時、それは自分の行くべき道を照らしてくれるのでしょうか?
本気になった瞬間の理由というのは、その人にとって正しい道をその人が歩むための最大のエネルギーになるのではないでしょうか
これまでの人生で、「初心忘るべからず」を念頭に置いて生きてこなかったと申しましたが、本気じゃない初心は無意識化で捨ててきていたのかもしれません
また、ここまで記載してきた初心は100人いたら100通りあり、さらに1人が複数の物事で初心を持っているかもしれません
会社で良い評価を得るために本気で仕事に取り組む
好奇心を満たす・充足を得るために本気で習い事に取り組む
家族・友人・恋人・パートナーなど自分が大切に思う誰かに幸せでいてほしいから、その人のことを本気で考える
・・・
そのどれもが正義で、その人にとって大切な初心です
(ただし、それに駆り立てられて周囲を傷つけるような行動はいただけません)
最後に
あなたは今鬱屈した日常を過ごしていますか?
もしそうだとしたらそれは何が原因でしょうか?
そしてその原因となる物事に対し初心は持っている、或いは見つけられそうでしょうか?
もし、そこに初心を見出したならば、それはあなたの進むべき道を照らしてくれるはずです
また見つからない場合、そことは別軸の何かに初心を見出すのも良いかもしれません
それもまた、あなたの進むべき道を照らしてくれるはずです
ここまでご覧いただきありがとうございました