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雪組『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』感想(ネタバレあり)

はじめに

 2020年の観劇初め。宝塚歌劇のお正月公演『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』雪組公演を観劇してきました。数週間空けて2回観ましたが、所見と2回目では印象も変わってきて興味深いな、と感じましたので記録しておきたいと思います。

『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』雑感

 原作映画は観ておりません。雪組さんは壮さんの時代からご縁があって大劇場公演はほぼ拝見しています。しかしながら望海さんのギャングもの、マフィアものはあまり見ておらず、まっさらな状態で劇場へ向かいました。
 壮年期のヌードルスが25年ぶりに幼馴染の店へやってきて、小池先生らしいオープニングと共に少年期へと時代が移ります。ローワーイーストサイドで貧しい暮らしをしていた少年少女たちが、そこから上へ這い上がろうとそれぞれのやり方でもがいている。

 1回目の観劇ではハッピーエンドでないことや亡くなってしまう人も多く、なんだかやるせない、切ない気持ちでいっぱいになりました。ヌードルスは純粋でロマンティストでした。デボラは頑張り屋さんでした。お互いに惹かれながらも2人の関係は劇中で交わることはない。再会したとてそれは変わらない。友を失ってそれでも生きていく人生の切なさが望海さんの歌とともにガツンと響いてきてすごく重く受け止めたことを覚えています。

 マックスたちとはつるまずに、日の当たる道を歩んでほしいというデボラと7年待ってくれていた友を裏切れはしないヌードルス。どちらの気持ちも分かるし、お互いに歩み寄る余地もない。強引に1幕ラストで幼いころからの夢を実現せんと一緒に出掛けた2人だったけれど、やはり同じ道を歩むことはできなかった。爆発事故があって25年経って再会した2人は、すでにそれぞれの人生を歩んでいて、やはり交わることはなかった。デボラはマックスの愛人になっていて、それを悟ったヌードルスの表情が何とも言えない。青年の頃ならば爆発させていたであろう感情も壮年となって受け入れるように変わっている。ヌードルスはかつての仲間たちと別れて1人となって「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」を歌い上げ、フィナーレとなる。みんな幸せな時もあれば悲しいことも辛いこともあって、それはどれだけ成功しているように見える人でも同じなのだと思えた。それは人生の切なさなんだけれども、それでも人は生きているのだ、と。
 観劇後はずっと切なかった。雪組さんが紡ぐ心に響いてくるお芝居と繊細な歌声は『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』という美しくて儚い物語を締めくくった。

 そうして数週間が経って、友人ともう1度観劇する機会があった。このころにはいろいろと咀嚼ができて(スタマイの本編を読了して重なるものがあった)『人生は切なく甘い』という結論に落ち着いていた。

2回目の観劇 壮年ヌードルスの目線で

 2回目の観劇にして、受ける印象が変わっていたのだった。まず壮年となったヌードルスがファットモーの店へやってくるシーンでは、ヌードルスのこれまでの生き様を踏まえて見られたし、少年期はまっすぐな少年少女たちの濁りのない生き方に心打たれた。刑務所から出てきてから銀行襲撃未遂のあたりにふと気づいたのは、自分の目線が壮年期のヌードルスになっていたことだ。1幕ラストの薔薇の部屋も、若さ故の焦りや見栄、恋焦がれる熱量を感じたし、若い時分の熱い思い出だと、微笑ましく観られた。

 一番心が揺れたのは壮年となってからのヌードルス。サナトリウムでキャロルと出会った時のふるまいや、再会したデボラとのデュエット。ヌードルスは25年の日陰での暮らしを経て、あの熱く甘く悲しい青春を時の中に閉じ込めた薔薇に見立てていた。美しいまま、仕舞っておこう、と。
 マックスに再会して銃を渡されたときも、ヌードルスはどことなく達観していた。マックスはずっとあの世界で生きてきたが、ヌードルスはカンザスでの暮らしを経て大人になっていた。きっと自分の中で折り合いをうまくつけられる人なのだろう。デボラとの関係も受け入れて、友との別れも受け入れて、様々な悲しくも甘い思い出を受け入れて、「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」を歌い上げる。

 きちんと歌詞を確認しながら聞くと、なんとも切ないが人生は素晴らしいと思わせてくれるのだ。喜びと不幸が背中合わせで、とても傷ついたけれどとても熱く甘い気持ちもあった。『過ぎた日々のすべて抱きしめ 記憶のかなたに蘇る ONCE UPON A TIME IN AMERICA』これが全てを物語っているのだなと涙した。ヌードルスにとってはきっともう過去のことで、生々しい記憶と蘇ってくる、あの日々を全て抱きしめているんだ。なみだ。

 お手元にパンフレットをお持ちの方はぜひ「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」という曲の歌詞を確認していただきたい。あの曲は最後に1度しか歌わない。歌詞をなぞると幕開きから今までの全てが走馬灯のように蘇って、染み渡った。

 デュエットダンスはヌードルスとデボラの関係からの振り付けに見えてくる。(きっとそういう演出)別々の場所から出会って、気持ちは近づいているけど距離はなかなか近づかない。うっとりと見とれてしまったのだった。

名作に出会ってしまった

 好き嫌いの分かれる作品だと思う。しかしこの作品を、上記のように思わせてくれる雪組だからこそ上演できた作品だと思うし、関係する全てに拍手を送りたい。個々に思い返せば見どころは膨大で挙げるとキリがないくらいだ。

 もしキャロルがおかしくなっていなかったら?

 デボラがヌードルスを受け入れていたら?

 マックスが銀行襲撃を思いとどまっていたら?

 いろんなことを考えても、どの選択肢を選んでもきっと喜びと不幸は背中合わせで、それでも私たちは過ぎた日々のすべてを抱きしめて、これからも生きていくんだろう。と自分の人生も振り返りながら。また何年か経って、この舞台を観劇する機会があったらまた違う受け取り方があるのかもしれない。でも今は、この感覚を忘れないで、過ぎた日々を抱きしめてこれからも前を向いて生きていこうと思う。そう思わせてくれた私にとっての名作でした。ありがとうございました。

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