ほんそば日記 20240904『数年越しに自分の本心に気づいた』
2024.9.4(水)
今日の午前中は片付けと作り置きをすると決めていて、そんな時は音声配信サービスのVoicyを流しながらやっている。元々ラジオなどの音声メディアが大好きで、特にVoicyは耳でエッセイ読んでいるような感覚で聴けるのでお気に入りなのだ。
今日は古谷しづかさんの過去放送を聴きながら。古い順に並べてその時聴きたいものを選んで聴くのだけど、今日選んだのは「人の心を打つコミュニケーションの根底に必ずあるもの!」(2021年11月14日放送、75回)。
司書というと本に囲まれている物静かなイメージがあるように思うけれど、実際の図書館勤務はイメージよりも接客業なので、コミュニケーションは日々の難題。パーソナリティである古谷さんは起業家でありながら看護師や保健師としての経験も積んでらして、毎回の放送もとても優しくこちらを包み込んでくれるようだから、あわよくば素敵な話し方の秘密が聞けるかもと、再生ボタンを押した。
詳しい内容はご興味あれば是非一度放送を聴いてみて欲しいと思うのだけれど、相手に自分の話を伝えるためには「相手の心を閉ざさせるような言葉を一言も口にしない」というお話は目から鱗で、これは仕事でも子育てでも有効な視点だな…と思わず料理の手を止めてメモしていた。つい自分の主張を先に表に出してしまいがちだなと反省。そのまま腰を据えて聴いていると、当時の古谷さんがなさっていたコミュニティの受講生の方たちと雑談していた時の話が出て、その内容に思わず「わぁ…」と声が漏れた。
否定的な発言の多い旦那様とのコミュニケーションに悩むというある方の話に、同席したメンバーから出たのはその旦那様を否定したり責める言葉ではなく、「どうしてそうなってしまうんだろう」という言葉だったという話で、そこで否定したら愚痴で終わってしまったその会話が「どうして?」という疑問から発展していく様子に、気づけば数年前の自分のことを思い出していた。
それは子どもがまだ1歳で、職場復帰をしたばかりで、仕事に家事に育児にと、今も訳わかってないけれど今以上に悩んでぐるぐるしていた時のこと。当時子育て広場でたまたま学生時代の友人と再会してよく話していた私は、何気なく自分の現状や、「どうすればもっと良くなるかなぁ」というようなことを彼女に話していた。
元々悩みを悩みとして相談するのが苦手だから、その時もなんとなく笑い話のように話した、つもりだったのだけど、返ってきたのは「それもっと旦那さんがやるべきだよ。旦那さんにもやらせたほうがいいよ。」という真剣な表情をした彼女の予想外の言葉だった。
いや、たぶん、働く母親同士の会話としてはごく当然の返しだし、彼女としては友人の私を心配して出た言葉だったのだと今も当時も理解している。自分だって疲れているのに私のことを心配してくれる、優しい友人だから。
それなのにその時の私にはものすごく強い言葉に感じて、その場はへらへらとお茶を濁してしまった。その後は彼女にそういう話はあまりしなくなり、生活範囲がお互い変わったことで関係も自然にフェードアウトしてしまい今に至る。でも、その時のことは私の胸にずっと刺さったままだった。その時の気持ちが、放送を聴いていたらブワーッと蘇ってきたのだ。
どうして自分があんなにショックを受けたのか、ずっと分からなかった。彼女は私の疲労を私より分かって気遣ってくれたのだろうに。彼女に悪いことをしたと思えば思うほど自分の反応や考え方を否定したし、彼女の反応が正しいんだろうなと思うと、だんだんと自分の心が萎縮していくようで、いつしか考えないようにしていた。それが今日、この放送を聴いて、突然無意識に「どうして?」と自分に問いかけていた。
その時も今も、確かに育児も家事も私の方が比重が多いと思う。でも夫は夫でやっているし、夫の性質的にマルチタスクを抱えこんでもらうよりも余裕のある状態で子どもと接して欲しい、という方を私は選択していて、やり方は人それぞれでいいと思っている。そりゃあ爆発するほど辛いときもあるけれど、半々にしたいとかは思っていなくて、じゃあどうしたいかというと、「私がもっと私らしくやるにはどうしたらいいか」ということなんだと思う。たぶんマイペースすぎるのだ。
だからあの時私は、私がどうすればもっと上手くやれるかなーという意味で口に出して、そこに「旦那さんにもやらせたほうがいい」という全く意図していなかったものが入ってきて、すごくびっくりしてしまったんだ。それが、ようやくわかった。
その頃の私は産後うつから派生したPMSがひどくなっていることも体調崩していることにも気づいていなかったから、びっくりがショックに変わって過剰反応したんだろう。彼女が心配するのも当然だ。そのことは、やっぱり彼女には悪かったなーと思う。
ずっと自分の気持ちが言語化できていなかったからようやくわかってスッキリしたけれど、彼女に対しての後悔の想いが湧いてきた。
古谷さんはコミュニケーションの根底は優しさだと続けていて、それがすごく腑に落ちる。今回のことに限らず私は愚痴をこぼすのも聞くのも苦手で、それが自分の心が狭いせいだと思っていたけれど、たぶんそこで終わると私は気持ちがあったかくならないから苦手なんだろう。
話してスッキリする人もたくさんいるしこれも人それぞれだから、愚痴をこぼすなとは思わないし、元気になれるなら話した方が絶対いい。溜め込むのは良くない。でも、それが苦手なら、やらなくていい。周りと同調できない自分のことを否定しなくていいんだと、そんなこともぼんやりと考えていた。
まずは自分に優しくして自分を信じられないと、人にも優しくできないという言葉もストンと心に落ちた。受けとめて優しい言葉をかける。そんなコミュニケーションができたらいい。たった10分の放送で、目から鱗が落ちすぎて世界の見え方が変わるみたいだった。
なんだか気持ちがジェットコースターみたいだったので、思わず書き残してしまった。コミュニケーションに対して気づきもあったし、コミュニケーションって自分に対しても同じなんだな。
自分に対して受けとめて聞いてあげる気持ち、優しい言葉をかける気持ち、忘れてないでいたい。そうしたらきっと、相手にかける言葉も変わるはず。
次に彼女に会ったら、あの時返せなかったぶんの優しさを返したい。もしも彼女が元気がなければ、寄り添えるような自分になっていたいと思った。
【今日のお供】
『90日で手に入れる「余白」のある暮らしのつくり方』(みしぇる・著 小学館)
…前回に引き続き、これをチラチラ読んでる。今日は1時間くらい片付けした。いらないものを捨てたけれど手放せる本は見つからなかった。でも積読が多すぎると反省したので、今月はどんどん読むぞ。
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